2015年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

ニュース@遠野

2014年5月 4日 (日)

「被災地の力になりたい」「自分にできることを見つけたい」

53日には、宮城、千葉、静岡、沖縄などから30人が活動に参加陸前高田市では田んぼの石を取り除く作業や海岸の清掃。大槌町でも吉里吉里海岸の清掃を行いました。夜には全国から到着した参加者は60人となりました。被災地ボランティアに初めて参加するという人も半数近くいます。

 

ボランティア参加者60人が決意や思いを交流

 

夕食後には、一日の活動の様子や、ボランティアにかける思いを交流しました。

 

 「地元が岩手」という千葉県の学生はボランティアに参加するのは初めて。大槌町の海岸掃除をする中で地元の方から被災当時の話を聞くことができ、「被災者の方の話を聞くと、3年経った今でも苦労していることがたくさんあることが分かった。話をするときは笑顔を見せてくれるが、その裏には人並み外れた苦労と努力をしてきたんだと思う」と感想を話してくれました。                           

 

 沖縄の大学1年生の女性は陸前高田市の浜掃除に参加。「震災当日のニュースの映像を見ても、とても本当に起こっていることと思えなかった。今回参加してみて、集めたごみをやすものと、プラスチックや燃えないも分ける作業だけでも大変で、復興というのは本当に力がいることなんだと実感した。『自分の活動が少しでも地元の人に元気を与えられるなら』と思って明日からの作業も頑張りたい」と話してくれました。

 夜から合流して明日から活動に加わる参加者からも、「被災地にはまだ色々な問題があると思うが、何が問題なのか被災者の方の声を聞いてハッキリさせて地元に戻ってからも考えられるようにしたい」「周りの人には『今(被災地に)行って何するの?』と言われるが、今だからこそ行く必要があると思って来た。自分にできることが何なのかを見つけたい」など、決意が語られました。

続きを読む "「被災地の力になりたい」「自分にできることを見つけたい」" »

2014年5月 2日 (金)

仮設住宅から新しい生活へ

遠野センターでは、4月2628日は山形、茨城、埼玉、岩手から28人(のべ50人)での活動になりました

4月30日は、後半の連休の活動準備のため、事務局3人と深澤さん(釜石・震災救援担当)とで復興公営住宅をおとずれました。

 

 新しい環境での暮らしの要望・思いに耳を傾けて

 大槌町は、大津波によって壊滅的被害をうけた町です。震災前は15000人だった人口が11000人まで減りました。沿岸で一番行方不明者の多い地域で、いまだに400人の行方がわかっていません。

 

今年に入ってから、街では地盤沈下した土地のかさ上げのため大規模な工事がはじまりました。大型トラックで土を運んでいたり、津波被害を受けて残った建物も解体作業がすすんでいます。また、被災した方たちの生活も仮設住宅から自力再建や復興公営住宅へうつる人もでてきていています。仮設住宅に空きがでてきているため、来年1月からは仮設住宅の集約化もはじまるそうです。

 

町内にある3つの復興公営住宅は去年から入居がはじまっています。仮設住宅から公営住宅にうつる中で、一人暮らしの高齢者の心のケアが課題になってきています。そんな中、大槌町の隣の釜石市では、復興住宅ではじめて孤独死がでました。まだ自治会がないなど環境が整っていないため、隣近所との付き合いや生活環境の急変に戸惑っている高齢者の方も多いとのことでした。復興公営住宅での生活実態の聞き取りはまだほとんど進んでいないそうで、新しい生活を始めた住民の方の暮らしの要望や思いを聞き取ることも重要な活動となっています。

 

「引っ越せて一安心」だけど…

 

 「公営住宅に引っ越せて一安心。でも仮設の人は集約化でまた仮設に引っ越しすることになるから、安心できない」というのは、去年8月にできた大ケ口町営住宅に住むKさん。震災当日は、津波の影響で近くの川があふれ1階部分が浸水し被災しました。Kさんとお茶っこをしていたOさんに〝いまの暮らしに不安に感じること〟を聞くと、「またいつ大きな津波がくるかが一番不安。病院も遠くなるし、近くにスーパーがない。足が悪いので移動販売にも間に合わないときがある。仮設住宅にもどりたい」と話してくれました。「震災後から右耳の耳鳴りがおさまらない」ということも。それでも、「こうやってボランティアさんにも助けられたし、仮設もここの人たちにもよくしてもらっている。人に恵まれています」といいます。

 

 Kさんは、去年9月に公営住宅に引っ越しました。〝生活再建に向けて必要なこと〟の項目では、「うちは息子の給料だけで生活しているから、お金はなんぼでもあればいい」。仮設のときは救援物資が届いてましたがいまはなく、引っ越し代の援助の10万円もカーテンや蛍光灯などをそろえると足りません。「一人で暮らすには部屋が広すぎて掃除が大変だったり棚が高くて届かない。外見は立派、中は使い勝手が悪い」など、住んでみてわかることもたくさんあります。国や行政への要望では、「近くにスーパーと病院がほしい。町の公営住宅だから町で管理できるようにしてほしい」(Kさん)、「税金を安くしてほしい。医療費が無料なのは助かった」(Oさん)。

 

海岸清掃で海開きのお手伝いも

 

 連休中に大槌町の吉里吉里海岸の清掃作業も予定しているので、現地を見てきました。海岸にはいまだに瓦礫が流れつきます。去年もボランティアが入ったそうですが、1年たつとこの通り。少しでも早く海開きができるようにお手伝いをします。                             

2014年4月27日 (日)

27日も陸前高田市でボランティアをしました。

ボランティアセンター4日目も陸前高田市への田んぼの石ひろいボランティアと被災地の視察を行いました。

その時の様子をニュースNO3で紹介しています。是非ご覧ください。

ボランティアセンターニュースNO3

4月26日の活動

4月26日の陸前高田市の石ひろいボランティア活動やつどいのようすを紹介した青年ボランティアニュースを作成しました。

是非、ごらんください。

ボランティアニュースNO2

ボランティアセンター3日目

おはようございます。全国青年ボランティアセンター3日目。

いま、山形と茨城、埼玉のメンバー20人で陸前高田市の田んぼのゴミと石拾い作業をしています。今日は、地元の清掃の日で田んぼの側溝掃除に来た地元の方に挨拶をしました。

 ボランティアのようすは青年ボランティアセンターのツイッターでもつぶやいているのでぜひ、のぞいてみてください。ツイッターURL: https://twitter.com/seinen_volu

 

昨日(26日)は、田んぼへのボランティア活動をしたあと、津波被害があった沿岸部の視察。そのあと、遠野市のボランティアセンターで日本共産党の伊勢純陸前高田市議を招いて「語ろう『私たちにできること』―全国青年ボランティア交流会」を行いました。

 

次のブログでその時の様子を紹介していきます。

2013年5月 8日 (水)

真の被災地復興に向け、全国で声をあげ行動しよう

/19から遠野を拠点に、釜石市・大槌町・陸前高田市で活動してきた第6次全国青年ボランティアセンターも、5/6をもちまして終了となります。お世話になったみなさまに事務局を代表し、御礼申し上げます。

第6次全国青年ボランティアセンターは、全国から11都道県のべ90人の参加で、釜石市・大槌町・陸前高田市で活動してきました。わかめ漁の選別のお手伝い、田んぼの石拾い、在宅被災者の家の草取り、仮設住宅へのお米のお届け、被災者の話を聞くつどいなどをしてきました。

18日間のボランティアセンターの活動を通して、被災された住民のみなさんが様々な苦しみや悩みを抱えながらも、多くの方が力強く前向きに生きていこうとしている姿に触れることができました。そうした被災者のみなさんの生活や復興への思いを共有できたことで、ボランティア参加者も被災された方もお互いに励ましあい、復興に向かう勇気を得られた活動になったと思います。
 
 また、真の復興のためには、被災地の現実を多くの人が知り、社会全体で支援の手を尽くしていくことが必要だと実感しました。ボランティア活動でできる復興支援はごく一部ですが、今回参加した人たちがそれぞれの地元で被災地の現状を伝え、国や自治体として被災者の声に寄り添った復興を求めていくことが大事だと感じました。ボランティアセンター事務局としても、今回寄せていただいた多くの住民の声を行政に届けたいと思っています。

 最後に、第6次全国青年ボランティアセンターを開設するにあたり、多大なるご支援をいただきました現地の方々、被災地の住民のみなさま、ボランティアの参加者、そして全国からご支援くださったすべてのみなさまにあらためて厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。


続きを読む "真の被災地復興に向け、全国で声をあげ行動しよう" »

被災者のがんばりを支えることが復興への道

5月4日の夜、ボランティアセンター参加者40人と陸前高田・釜石の青年たちで交流会を開催しました。様子を紹介します。

最初に、日本共産党遠野市議・小松大成さんから、自身の震災当時のお話と、ボランティアへの感謝を述べたあと、「政治に必要なことは、アベノミクスのような被災者に何の関わりもない経済政策ではなく、1日も早い復興です」と挨拶がありました。それから、自治体職員のKさん、釜石で救援活動をしてきた深澤寿人さん、陸前高田で救援活動をしてきた藤倉了介さんから、当時のお話や、救援活動で感じてきたことを話してもらいました。

続きを読む "被災者のがんばりを支えることが復興への道" »

町や住民どうしを励ます被災地の姿に元気もらった

大槌の町を菜の花で~『菜の花プロジェクト』をお手伝い

52日は、東京のメンバーと事務局で大槌町赤浜漁港のわかめ選定作業。その後『菜の花プロジェクト』のお手伝いをしました。

津波で1階部分が破壊されたままの大槌中学校。その校舎のすぐ脇を流れる川沿いの一角は、昨年・一作年とかけて植えられた菜の花で一面黄色く染まっています。震災直後の5月から、川岸近くに住む金山さんが一人で菜の花を植え始めたことがきっかけで始まった『菜の花プロジェクト』はこれまでで7000人を超える全国からのボランティアが支援をしてきたそうです。この日は雑草の生い茂る土手の草刈りと石拾い。メンバーは初めて扱う草刈機に悪戦苦闘しながらも順調に作業を進め、3時間ほどで辺り一面はすっかり綺麗になりました。

金山さんは震災でお世話になった先輩や知人を20人以上も津波で失ったといいます。震災後、「生き残った自分にできることは何か。菜の花を植えることで恐ろしい津波の傷跡が少しでもやわらいで、亡くなった人の供養にもなれば」と、この行動を始めたきっかけを話してくれました。今回初めてボランティアに参加した事務局員の正保さんは「金山さんが自らも被災しながらすぐに行動を始めたことは凄いことだと思った。町の人にもボランティアとして来た人にも夢を与えられ、多くの人が大槌の町の様子を自分の目で見るきっかけになるんじゃないか」と話しています。

続きを読む "町や住民どうしを励ます被災地の姿に元気もらった" »

2013年5月 1日 (水)

はじめて見た被災地で感じたことを伝えたい

4月最後の連休は、大阪・兵庫の学生ボランティアサークルのメンバーや、埼玉、岩手県内からの参加者も加わり、この日まででのべ50人が活動に参加しました。28日から29日にかけて、大槌町でワカメの選定や菜の花植栽、陸前高田市で田んぼの石拾い作業に取り組みました。


はじめて訪れた被災地を見学、田んぼの作業のお手伝い

昨年の11月に立ち上げたばかりの学生ボランティアサークル『ベネボル』は、今回が初めてのボランティア活動でした。28日の午前中に釜石市~大槌町を周り、高台から何もなくなった町の姿や、被災したままの建物を自分の目で見た学生は、「鵜住居防災センターの周りにはなにもなかった。神戸の震災と重なり家族のことを思い出した」とはじめて被災地を見た感想を話します。

上中島の仮設住宅にも立ち寄り、佐々木トシさんにもお会いしてお話を伺いました。初めて仮設住宅を見た参加者が「あまりに狭い部屋で自分なら耐えられないと思う」というほどの環境での生活の様子や、新しくできた公営住宅になかなか入れない実態を語りながらも、終始明るい振る舞いのトシさんに「むしろこちらが元気をもらった」と話していました。

山形、静岡、沖縄のメンバーは、午前中から陸前高田に入り、市街地をみてまわったあと田んぼの石拾い作業をしました。陸前高田は、震災から2年でやっと作付けの許可がおりました。広大な田んぼを掘り返すたびに出てくる石を前に、「これじゃ、はじめられない」と田んぼの持ち主のKさん。午後からは、ベネボルのメンバーも合流して総勢20名で作業をしました。その日だけで6枚の田んぼの作業を終えて、Kさんは「本当に助かりました。ボランティアさんには本当に感謝しかない。みなさんが大変な時は今度は私がいきますね」と涙ながらに話していました

1367116409589

続きを読む "はじめて見た被災地で感じたことを伝えたい" »

仮設住宅で被災者との交流のつどいを開催

27日は、沖縄・静岡・山形のメンバーと釜石市~大槌町を見学。その後、大槌町の仮設住宅で被災された当時のお話をうかがうつどいを行いました。つどいの様子を紹介します。


被災当時のお話し

 大槌町の仮設住宅で自治会長をしている三浦勝男さんは、震災当日奥さんは出かけていて家で一人でした。集会場の管理もしていた三浦さんは、去年の地震の時に津波が来なかったこともあり、最初は「今回も大きいものはこないだろう」と、危機感はなかったといいます。三浦さんの自宅は6~7mの高台にあり、避難してきた近所の人たちと一緒に津波が来るのを見ていました。引いた波が堤防をこえてきたところではじめて危機感を覚え、さらに高台に逃げていきました。地震から津波まで約30分あったのですぐ避難すればまぬがれましたが、ペットや家のことが気になって帰った人は津波で流されました。

 次の日は、若者といっしょに遺体を探し歩き8人を収容しました。その次の日は山火事が起き、みんなでバケツリレーをして火が来ないようになんとかせき止めました。さらにその翌日は町役場から避難指示が出たので道を作るために瓦礫をどける作業をし、体の不自由な人は海岸まで行ってヘリで運ばれました。避難所だった城山体育館は自家発電で電気がついていて「明るさにほっとした」と言います。

Mk8_0700

続きを読む "仮設住宅で被災者との交流のつどいを開催" »