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支援活動

2011年5月 8日 (日)

最終日のボランティアを終えて

 4月27日にスタートした全国青年ボランティアセンターも5月8日で最終日となりました。これまでに一関センターで活動したボランティアは約200人、のべ550人が被災地で活動しました。(宮城、福島も合わせると約280人、のべ810人)

 「民青同盟はボランティアを送らないのか」そんな問い合わせをいただき、不安のなかで現地入りしたところ、すでに一関の民青班が被災者のお宅でがれきの撤去をしていました。これを目の当たりにしてちゅうちょも消え、ボランティアセンターを開設することとなりました。

 大学内で見つけた募集ビラをみて駆けつけてくれた青年、民青同盟員の妹に誘われた専門学校生、連休を利用した小学校の先生、岩手の青年など、北海道から沖縄までの青年と同盟員が集まりました。

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 それぞれが自分のできる範囲で、誠実に働くことができました。大型免許を持っている人はマイクロバスを運転しました。チェーンソーで大木を切りました。被災地の方の要望を聞いて、介護士や美容師、とび職の青年たちは、職業を生かしてはたらきました。大小さまざまな流木(家屋の破片)を集めました。泥をかき出しました。仕事中・休み時間には地元の方といっぱいお話もしました。

 小学校の花壇づくりから始まったボランティアも、海岸・漁港のがれきの撤去、排水溝の掃除、避難所の炊き出し補助、学校の窓拭き、漁具の整理、被災された方の家屋・商店の清掃、入浴介助、整髪など、活動も多彩でした。

 毎朝5時半に起きて、2時間近くをかけて陸前高田市の広田半島に向かった私たちのボランティアも、8日夕方に最後の組が無事もどってきました。

 一関のみなさん、被災地のみなさんの力もお借りして、青年ボランティアセンターの活動を終えることができました。ご協力・ご支援、本当にありがとうございました。

 仙台、福島でのボランティアセンターの活動も合わせた全体のまとめは、後日お伝えできるようにします。 被災地の復興は始まったばかりだということを忘れずに、私たちはボランティアの経験をそれぞれの地に持ち帰り、役立てたいと思います。

 ボランティアに参加されたみなさん、お疲れ様でした。

写真1: 田中悠・民青同盟委員長(左)

 

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午前7時半に最後のボランティアが出発

 最終日となる8日は、16人のボランティアチームが陸前高田市に向かいました。きょうは、個人宅の清掃をメインにする予定です。

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2011年5月 6日 (金)

復興へ、被災者の思いによりそって

 被災地では、復興への歩みがはじまっています。見渡すかぎりガレキのなかに、よく見ると新しい電柱が。深い悲しみとともに、明日への一歩をふみだしています。

はりつめた気持ちが和らいで

 3月半ばから地元のボランティアが通う水産業を営むお宅では、昼休みにいつも、奥さんが被災当時の話をしてくれます。

 先日、肉親を亡くしたことを、はじめて話しました。何度も通った青年は「奥さんの涙を初めて見た」といいます。被災から数日後、長男のお嫁さんがガレキの下から見つかりました。小学生の子どもにどう打ち明ければいいか悩んだと言います。火葬の燃料入手に苦労したこと、せめてお花を供えたいと奔走したこと…。「お嫁さんの実家に本当に申し訳ない」と苦悩している胸の内を明かしました。ボランティアと心を通わせ、張りつめた気持ちが少しずつ和らいできたようです。

 4日、青年ボランティアは、津波でこんがらがった漁具をほどき、結びなおしました。一面ガレキのなかから、見つけ出したものです。「津波がきていったんあきらめたけど、生きているから欲が出て…。これがあれば漁業で生きていける」。もう一度、生きてみようとの思いを後押ししたいと、ボランティアの手に力がこもりました。

生きる力強さを応援したい

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 海辺で流されてきたモノを片付けているとき、個人の写真アルバムや卒業証書がありました。捨てるに捨てられず、青年ボランティアが近くの避難所の本部に届けました。写真をみて、本部のおじさんが「この人知っている」と言います。「家が津波で全壊し、まだ連絡がとれていない。お届物は預かっておきます」。

 届けに行った青年は、どう言葉を返せばいいか戸惑いました。ただ、被災者の方々との触れ合いをつうじ、深い悲しみをかかえつつ明るくふるまい、ここで生きていくとの力強さを感じたと言います。「先の見通しがもてるように、地元に戻ってからも僕らに何ができるか考えたい」と話しています。(写真=「われら高校生」提供)

地元の青年とも交流

 陸前高田市のボランティアセンターに毎日手続きに行くと、受付をやっている青年たちと対話になります。「今日の活動参加は何人ですか?」と聞かれて130人と答えると、ビックリ。「連休でいっきに片付きますね」とうれしそうに話してくれました。

 受付の青年たちもボランティア。実家が津波に流され、親戚の家に寝泊まりしながら頑張っています。全国からの青年ボランティアが、ふるさとの復興を願う青年たちを励ましています。

2011年5月 5日 (木)

130人のボランティア

 連休を利用した参加者もたくさんいます。

 「被災者の方の前向きな明るさを感じた。私自身が他人事にしないで考えることが大切だと思え、すこしはできるようになれと思う」と話してくれたのは、東京に住む妹さんに誘われて参加した、長野の専門学校に通う女性。

 教師9年目の小学校の先生は「被災者を思いやる気持ちを押し付けないこと、あくまでも被災者の気持ちに寄り添ってということ実感した」と。子どもたちに託された支援物資も小学校に届ました。

 「もし僕が被災したら、誰かが助けてくれる。だから同じように今やらなければ」という気持ちで参加した広島の大学2年生は、被災者の方がみんな明るく振舞っている姿を見て、3・11のありさまで止まっていた自分の見方が、「復興へむけてがんばろう」という気持ちになったといいます。

 青年ボランティアセンターの活動も3日は100人、4日は130人と、期間中最大規模の活動となりました。

 センター開設以来、ずっと陸前高田市の広田半島周辺で活動しています。漁港の清掃、個人のおうちの清掃、浜辺の清掃、避難所の炊き出し補助、排水溝の清掃、遊歩道の清掃、入浴介助など。

津波に襲われた倉庫の清掃

 店のご主人に伺うと、「先代が“2度の大津波も届かなかった場所”に建てたと聞いていたのに、こんどはやられてしまった。必死で高台に逃げた」そうです。津波の最先端が襲ったお宅は1階の倉庫が80cmまで海水に浸かったそうです。石垣で勢いが衰えて津波が倉庫を直撃しなかったので、かろうじて中のものが残ったそうです。床は乾いた泥に覆われていて、引き出しにも海水が残っていました。

 京都から来た7人で倉庫の清掃をしました。泥水で汚れたものを洗い、高圧洗浄機を使って潮を洗い流しました。

2011年5月 4日 (水)

手づくりの食事

ボランティアセンターで活動する仲間はどんどんふえています。夕食作りもなかなかの仕事です(写真下)。3日の夕食は120人分となりました。

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3日は、炊き出し、漁港の片付け、民主商工会で支援物資の仕分け、被災したかたのお宅のかたづけ、海岸のがれき撤去(写真)などをしました。

3,4日は、最大規模の活動です。

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2011年5月 3日 (火)

地元の人との交流がひろがっています

Gareki2_2  広田小学校の周辺では、道路わきに積み重ねられていたがれきや、水路にたまっGareki1 た泥を撤去する作業をしました。道路わきのがれきの撤去は大勢で力をあわせてやれば、目に見えて片付いていきます。

一方、水路の泥は、津波で圧縮されて固まっていたり、大きな石がまざっていたり…。中腰での長時間の作業はかなりの重労働。すくっても、Suiro1_2すくってもどんどん泥が出てく るという状態で、なかなかすすみません。それでも、地元の人からはすごく感謝してもらい、また明日もいっしょにやることになっています。Suiro2

 小学校では、昨日に続き、避難所の炊き出しのお手伝い。地域から来ているおばさんたちは昨日の方とは別の方でしたが、すっかりうちとけて仕事をしながらいろいろな話を聞くことができました。

「出荷直前のホタテがすべて流され、家も流され、避難所で一人で暮らしていた。 最初はなんにもする気がおこなかったけど、ここで生きていくしかない、って思って、炊き出しに出るようにしたんだ」

「ここで見る海はほんとにきれいでしょう。ここからみる日の出は最高よ。でもこの海が人っこも家っこも全部ながしちゃったんだからねぇ。いまはこんなに穏やかなのにね」

Takidasi てきぱきと元気に仕事をしているおばちゃんたちですが、様々な苦労をかかえていることが分かりました。

お年寄りへのケアがおいていかれることのないように

2日は、一関のセンターだけで、およそ50名が行動しました。活動内容も港のがれき撤去、避難所の炊き出し、道路わきのがれきの撤去、泥で埋まった水路の掃除、ホヤ工場のがれきの片付けなど、幅が広がっています。ヘルパーや美容師もボランティアにかけつけてくれて、専門を生かして、避難所での散髪、お年寄りの入浴介助もおこないました。

 入浴の介助をしたお宅では、これまでお世話になっていたケアマネージャーさんが二人とも津波で亡くなってしまったそうです。お家の方が「おばあちゃんをお風呂に入れることができないので手伝ってほしい」とセンターに声をかけてこられました。ヘルパー経験のある二人がいって入浴のお手伝い。久しぶりに入るお風呂におばあちゃんも気持ちよさそうでした。

 このお宅では、たまたま私たちに声をかけていただいてお手伝いすることができましたが、同じような状況におかれている高齢者がたくさんいると思います。震災の中で、お年寄りなど弱い人へのケアがおいていかれてしまうことのないようにしていかなければいけないと思いました。

2011年5月 1日 (日)

「え~そんなに遠くから…。ありがとね」

1日の作業は、この間お世話になっている広田小学校で、避難者のみなさんに提供する食事の炊き出しのお手伝い。学校の調理室を使って、地元のおばさんたちと一緒につくりました。0501b_2

多いときは300人分近い人たちの炊き出しをしていたとか。避難者はだんだん減ってきていますがそれでも、100人を超える避難者がいまも生活していて、その人たちの食事を、自分たちも被災して大変な地元の人たちが交代で作っています。「どこから来たの?」と聞かれ、「広島です」「兵庫です」などと答えると「え~! そんな遠くから…。ありがとね」と、感謝されてしまいました。

お昼休みに、一人で壁に向かってボール投げをしていた中1の男の子に声をかけ、一緒にキャッチボール。15分ほど、かなり真剣にボールを投げあいました。「地震のあと、こんなに体を動かしたのは初めて」とのこと。早く子どもたちが元気で遊びまわれる環境が戻ればいいなと思いました。

「若い人たちがきて元気でた」――港のがれき撤去作業

 30日も前日につづき黒崎漁港の片付けへ。043001

  「震災後はじめて海岸におりた」という年配の女性と対話になりました。「地震後、聞いたこともない音が鳴り響き、海が怖くて行きたくなかった。でも、若い人たちが来ているからと聞いてきてみた。こんなに一生懸命やってくれているのを見て、頑張らないとなと思った。若い人たちが来てくれるだけで元気が出る」と、涙ながらに語ってくれました。

043002jpg_3  同じ場所でボランティアをしたことで、地元の人に信頼されているということを実感しています。

2011年4月30日 (土)

仙台に青年ボランティアセンター支所開設 米や野菜を届ける

 仙台台市内にセンターの支所をひらき、宮城県内の被災地での活動をはじめました。29日は東松島市へ、救援物資を届けました。床上60センチまで浸水した地域で、ハンドマイクで案内しながら物資を渡しました。

 米、野菜、じゃがいも、トイレットペーパー…。被災者にどんどん手渡しながら、話を聞きました。「この地域は給水車が一度きたきりなので、本当に助かる」「お米がほしい。車が流されて2~3キロ先のスーパーに買い物に行けなかった」など、とても歓迎されました。

 仙台市にすむSさんは、チラシをみてボランティアに飛び込み参加。「何かしたいと思っていたけど、今まできっかけがなかった」といいます。はじめは、よく知らない団体だし、自分みたいな初心者が来ていいのか不安もありました。移動の車中などでお互いのことをざっくばらんに交流するなかで打ち解け、「楽しかった。また来てみたい」と話してくれました。