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2014年5月

2014年5月 5日 (月)

「語っぺ!福島」で活動と思い交流(福島ニュース№3)

 全国青年ボランティアセンター(第7次)@福島で5月4日、全体交流企画「語っぺ!福島2014」が行われ、150人が参加しました。DVD「福島原発事故~絶望から希望へ~」(原発をなくすいわき市民の会制作)を視聴したのち、日本共産党福島県委員長の久保田仁さんがあいさつし、民青同盟福島県委員長の大橋沙織さんが福島の青年を代表して発言しました。

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福島を伝えてほしい

 久保田さんは青年ボランティアの意義について「福島を見て、感じてもらうことが大事」と強調。「オール福島」となった原発ゼロを求めるたたかいの発展にふれ、「生活と生業を取り戻すまで、国と東電とたたかう」と話しました。
 大橋さんは「福島青年大集会2012」をきっかけに、原発ゼロを求める運動に参加するようになった経緯を話しながら、福島の思いに背を向けて原発再稼働に走る政府の姿勢を批判。ボランティア参加者に向けて「3年たっても、たくさんの人が来てくれてうれしい。地元でも話してほしい」とうったえました。
「本当に終わってない」

 DVD視聴と発言の後、少人数でグループ討論を行い、全体討論で議論を深めました。
学童保育でバイトをしている京都の学生は、「毛虫で遊んでいる少年がいたけど、本当はもっと自然豊かな所で遊べたんじゃないか。国や東電は被災者をネグレクトしている。原発再稼働なんてあり得ない」と話しました。
 
 ボランティアに初参加の愛知の女性は、親から「ボランティアにできることは終わってるんじゃないの」と言われながらも、「自分の目で見ないと」との思いで来ました。仮設住宅の聞き取りでは、原発への怒りそのものにふれ、「本当に終わってない」と実感したといいます。
今回の仮設住宅への聞き取りでは、国・東電の無策や除染もなかなか進まない中、「もういい」「地震の前に戻りたい」という苦しい思いに耳を傾けました。ボランティアは「聞いていて悲しい気持ちになった。地元でしっかり伝えたい」「原発は絶対あかんと思った。声を上げたい」など受け止めました。
 東日本大震災後、被災地に始めて来たという奈良の男性は、政府の原発事故「収束宣言」についてふれ、「仮設でどんな生活を送っているか知らないのでは。宣言を撤回すべき」と力をこめました。
 交流会の最後、センター長の林竜二郎さんがまとめとして「原発の再稼動・輸出は許せない。これを食い止めることは、福島に連帯することにもなる。福島に思いをはせていこう」と発言しました。

被災者の声に耳傾けたボランティア(福島ニュース№2)

 第7次全国青年ボランティアセンター@福島では5月3日に、松川工業団地仮設住宅に支援物資のお米を届け、住民から要望や実態を聞き取る活動を行いました。地元福島の青年をはじめ、岡山、神奈川、滋賀、東京、京都の青年が参加しました。

将来に原発残したくない」と住民

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 仮設住宅の訪問では、支援物資のお米をそれぞれのお宅に配りました。飯館村から避難してきた女性(70)は、「3年たっても将来に見通しが立たない。実家では3世代(自分、息子と孫)で暮らしていたけど、仮設が狭くてばらばらになった」と原発事故によって家族がばらばらになった実態を話しました。
 対話した岡山のボランティアは「原発事故の原因もまだ分かっていないのに、安倍首相は再稼働をしているのはおかしいですよね。皆さんの声を政治に届けます」と応えました。女性は「孫やこれからの子どもたちの世代に原発を残してほしくない。安倍首相には『原発の再稼働をやめてほしい』と伝えたい」と語気を強めました。


被災地で「できること」考えた

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 3日の夜は参加者同士で活動交流会を開き、会場いっぱいの約100人が参加しました。参加者の感想
の一部を紹介します。
◆自宅のポストに入っていたチラシを見て参加した。浪江町などをフィールドワークして、言葉が出てこなかった。早く元に戻ってほしい。一人ひとりが望む生活に戻れるようにできたらいい。(神奈川)
◆原発事故で避難するまで暮らしていた村のことを話してくれた男性の話を聞き、酪農をしてきたその人の誇りを感じた。原発事故は故郷と生きてきた歴史をも奪った。人間の尊厳を取り戻す復興にしていきたい。(京都)
◆仮設住宅での生活に自由度は少なく、買い物の交通費に何千円も掛けている人がいた。「生活の基盤が崩れている」と感じ、仮設暮らしにおかしさを感じた。解決するために、ボランティア活動を通じて考えたい。(滋賀)

南相馬市フィールドワーク(福島ニュース№1)

 
4月29日、全国青年ボランティアセンター@福島が福島市内に開設しました。
初日から福井、鳥取、愛媛の3県4名がガイダンスを受講し、その後、福島の青年と一緒に支援物資のお米の小分け作業を行いました。翌30日は、南相馬市のフィールドワークを行いました。

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自分の目で見て歩くのでは全く違った
 「田んぼを埋め立てて、除染作業で集めた土などを置いている」「川俣町は軍鶏が有名。原発事故が起きる前までは日本一長い焼き鳥づくりが行われていた」――南相馬市に向かう中、3・11後の福島の変化や現状について、ガイドの野口徹郎さんが軽妙かつ真剣に語ります。センターから車で約90分間、南相馬の道の駅に到着しました。道の駅で名物の凍天(草もち入り揚げパン)を頬張り一服し、いざ南相馬市フィールドワーク開始。
津波で1階部分が大破した民家の壁に残っている頭の上を優に超える高さの津波の跡。お母さんと生後間もない赤ちゃんが津波の犠牲になった場所にたてられたお地蔵さん。曲がって倒れたガードレール。居住できない地域にある小高駅前の駐輪場では、通学で使われていた中高生の自転車が残っていました。
 鳥取からの参加者(大学4年生)は、「福島県は原発事故のイメージが強くて地震や津波の被害については想像できていなかった」と話します。新設のガードレールや整理されたがれきの山を見て、昨年も訪れた金元友さん(31)は「がれきの撤去が進んできているなと感じた。同時に震災の激しさを知ることが難しくなってきているようにも思った」と言います。一方で初めて被災地を訪れた参加者は、「3年たった今でも3・11の被害の大きさを感じることができた」と話します。
 福井からの参加者(看護学校4年生)は、「今までテレビや新聞などでしか見ることがなかった被災地を、自分の目で見て歩くのでは全く感じ方が違った。(中略)故郷に戻りたいという気持ちや目に見えない放射線への不安、忘れられない3・11の恐怖など、住民の立場になって考えると、とても苦しい気持ちになった。原発を再稼働させることは福島で被害に遭われた方の気持ちを考えていないと思った。自分の目で見たり聞いたりすることで、根拠を持って原発は良くないと言えるようになったと思う。この変化は自分でも大きいものであり、その思いをほかの人にも伝えていけたらいいと思う」と感想を寄せました。

2014年5月 4日 (日)

「被災地の力になりたい」「自分にできることを見つけたい」

53日には、宮城、千葉、静岡、沖縄などから30人が活動に参加陸前高田市では田んぼの石を取り除く作業や海岸の清掃。大槌町でも吉里吉里海岸の清掃を行いました。夜には全国から到着した参加者は60人となりました。被災地ボランティアに初めて参加するという人も半数近くいます。

 

ボランティア参加者60人が決意や思いを交流

 

夕食後には、一日の活動の様子や、ボランティアにかける思いを交流しました。

 

 「地元が岩手」という千葉県の学生はボランティアに参加するのは初めて。大槌町の海岸掃除をする中で地元の方から被災当時の話を聞くことができ、「被災者の方の話を聞くと、3年経った今でも苦労していることがたくさんあることが分かった。話をするときは笑顔を見せてくれるが、その裏には人並み外れた苦労と努力をしてきたんだと思う」と感想を話してくれました。                           

 

 沖縄の大学1年生の女性は陸前高田市の浜掃除に参加。「震災当日のニュースの映像を見ても、とても本当に起こっていることと思えなかった。今回参加してみて、集めたごみをやすものと、プラスチックや燃えないも分ける作業だけでも大変で、復興というのは本当に力がいることなんだと実感した。『自分の活動が少しでも地元の人に元気を与えられるなら』と思って明日からの作業も頑張りたい」と話してくれました。

 夜から合流して明日から活動に加わる参加者からも、「被災地にはまだ色々な問題があると思うが、何が問題なのか被災者の方の声を聞いてハッキリさせて地元に戻ってからも考えられるようにしたい」「周りの人には『今(被災地に)行って何するの?』と言われるが、今だからこそ行く必要があると思って来た。自分にできることが何なのかを見つけたい」など、決意が語られました。

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2014年5月 2日 (金)

仮設住宅から新しい生活へ

遠野センターでは、4月2628日は山形、茨城、埼玉、岩手から28人(のべ50人)での活動になりました

4月30日は、後半の連休の活動準備のため、事務局3人と深澤さん(釜石・震災救援担当)とで復興公営住宅をおとずれました。

 

 新しい環境での暮らしの要望・思いに耳を傾けて

 大槌町は、大津波によって壊滅的被害をうけた町です。震災前は15000人だった人口が11000人まで減りました。沿岸で一番行方不明者の多い地域で、いまだに400人の行方がわかっていません。

 

今年に入ってから、街では地盤沈下した土地のかさ上げのため大規模な工事がはじまりました。大型トラックで土を運んでいたり、津波被害を受けて残った建物も解体作業がすすんでいます。また、被災した方たちの生活も仮設住宅から自力再建や復興公営住宅へうつる人もでてきていています。仮設住宅に空きがでてきているため、来年1月からは仮設住宅の集約化もはじまるそうです。

 

町内にある3つの復興公営住宅は去年から入居がはじまっています。仮設住宅から公営住宅にうつる中で、一人暮らしの高齢者の心のケアが課題になってきています。そんな中、大槌町の隣の釜石市では、復興住宅ではじめて孤独死がでました。まだ自治会がないなど環境が整っていないため、隣近所との付き合いや生活環境の急変に戸惑っている高齢者の方も多いとのことでした。復興公営住宅での生活実態の聞き取りはまだほとんど進んでいないそうで、新しい生活を始めた住民の方の暮らしの要望や思いを聞き取ることも重要な活動となっています。

 

「引っ越せて一安心」だけど…

 

 「公営住宅に引っ越せて一安心。でも仮設の人は集約化でまた仮設に引っ越しすることになるから、安心できない」というのは、去年8月にできた大ケ口町営住宅に住むKさん。震災当日は、津波の影響で近くの川があふれ1階部分が浸水し被災しました。Kさんとお茶っこをしていたOさんに〝いまの暮らしに不安に感じること〟を聞くと、「またいつ大きな津波がくるかが一番不安。病院も遠くなるし、近くにスーパーがない。足が悪いので移動販売にも間に合わないときがある。仮設住宅にもどりたい」と話してくれました。「震災後から右耳の耳鳴りがおさまらない」ということも。それでも、「こうやってボランティアさんにも助けられたし、仮設もここの人たちにもよくしてもらっている。人に恵まれています」といいます。

 

 Kさんは、去年9月に公営住宅に引っ越しました。〝生活再建に向けて必要なこと〟の項目では、「うちは息子の給料だけで生活しているから、お金はなんぼでもあればいい」。仮設のときは救援物資が届いてましたがいまはなく、引っ越し代の援助の10万円もカーテンや蛍光灯などをそろえると足りません。「一人で暮らすには部屋が広すぎて掃除が大変だったり棚が高くて届かない。外見は立派、中は使い勝手が悪い」など、住んでみてわかることもたくさんあります。国や行政への要望では、「近くにスーパーと病院がほしい。町の公営住宅だから町で管理できるようにしてほしい」(Kさん)、「税金を安くしてほしい。医療費が無料なのは助かった」(Oさん)。

 

海岸清掃で海開きのお手伝いも

 

 連休中に大槌町の吉里吉里海岸の清掃作業も予定しているので、現地を見てきました。海岸にはいまだに瓦礫が流れつきます。去年もボランティアが入ったそうですが、1年たつとこの通り。少しでも早く海開きができるようにお手伝いをします。                             

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