2015年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

« 町や住民どうしを励ます被災地の姿に元気もらった | トップページ | 真の被災地復興に向け、全国で声をあげ行動しよう »

2013年5月 8日 (水)

被災者のがんばりを支えることが復興への道

5月4日の夜、ボランティアセンター参加者40人と陸前高田・釜石の青年たちで交流会を開催しました。様子を紹介します。

最初に、日本共産党遠野市議・小松大成さんから、自身の震災当時のお話と、ボランティアへの感謝を述べたあと、「政治に必要なことは、アベノミクスのような被災者に何の関わりもない経済政策ではなく、1日も早い復興です」と挨拶がありました。それから、自治体職員のKさん、釜石で救援活動をしてきた深澤寿人さん、陸前高田で救援活動をしてきた藤倉了介さんから、当時のお話や、救援活動で感じてきたことを話してもらいました。

自治体職員Kさんの話

 震災前から自治体職員として働くKさんは、当時も市役所にいました。3階建ての市役所の屋上まで届いた津波の直撃から逃れ、一晩を市役所で明かし、翌日から救援に来た自衛隊のヘリの誘導など、救援活動に奮闘しました。その後の仕事の中でも、身内を亡くされた被災者と窓口で接する中で、「一、二年たった今でも生き残った人も苦しんでいる」「私は家族が全員無事だったが、そういう自分が周囲からどういう目で見られているかと考えてしまう」と自分自身の苦しさも交えつつ、現在働いている給食センターの仕事について「震災後、給食にずっとお弁当が出ていたが、いまは『あったかい給食が食べられるのが嬉しい』と声をかけてもらえる。この給食を届けることが喜びです」と語りました。

釜石市・深澤寿人さんの話

 深澤さんは、震災当時ガソリンスタンドで働いていました。震災後、救援に来る県内外からの車に給油しながら「自分も何か力になりたい」と思い、4月から救援活動を始めました。当初は釜石市50ヶ所、大槌町で40ヶ所ある仮設に「青空市」として物資を届けてきました。現在、仮設に入っている人の中では、次にどこに住むのかもわからない不安の中、「今になって『夜眠れなくなる』という声を聞く」という状況もあります。そうした中で仮設住宅の集会所での映画上映会なども取り組まれて、現在130回、1600人以上が鑑賞してきました。「仮設だと隣の音を気にして夫婦喧嘩もできないし、夜トイレの水も流せないほど気を使っている人もいる。映画上映会は、音を気にしないでみんなで笑えるから心のケアになっていると思う」と話します。

陸前高田市・藤倉了介さんの話

藤倉さんは、市の状況と今後の課題について話しました。将来の住まいが一番の不安であること、救援活動では常設で青空市をやっていたことで、青空市が再会や気晴らしの場になっていたこと、一方で街が全て流された陸前高田市では全国から送られてくるたくさんの物資を置く場所がなく困ったことや、「物資をもらいに来る人の中には『自分が貰いに行っていいのか』と感じながら来る人もいる」など物資を配る難しさを感じたことなど話しました。その経験から、「民間の救援だけではなく行政の支援が必要」と感じた藤倉さん。陸前高田市は、震災の年の6月から事業者に対する補助が始まり、その後自治体独自の住宅再建の補助がつくられた最初の自治体です。それが他の自治体にも広がった経緯に触れ、「高田と言えば『奇跡の一本松』とよく報道されているが、被災者のがんばりを支えてこその復興ということを伝えて欲しい。高田は始まったばかりです」と話しました。

« 町や住民どうしを励ます被災地の姿に元気もらった | トップページ | 真の被災地復興に向け、全国で声をあげ行動しよう »

ニュース@遠野」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/526545/57337126

この記事へのトラックバック一覧です: 被災者のがんばりを支えることが復興への道:

« 町や住民どうしを励ます被災地の姿に元気もらった | トップページ | 真の被災地復興に向け、全国で声をあげ行動しよう »