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2013年5月 1日 (水)

仮設住宅で被災者との交流のつどいを開催

27日は、沖縄・静岡・山形のメンバーと釜石市~大槌町を見学。その後、大槌町の仮設住宅で被災された当時のお話をうかがうつどいを行いました。つどいの様子を紹介します。


被災当時のお話し

 大槌町の仮設住宅で自治会長をしている三浦勝男さんは、震災当日奥さんは出かけていて家で一人でした。集会場の管理もしていた三浦さんは、去年の地震の時に津波が来なかったこともあり、最初は「今回も大きいものはこないだろう」と、危機感はなかったといいます。三浦さんの自宅は6~7mの高台にあり、避難してきた近所の人たちと一緒に津波が来るのを見ていました。引いた波が堤防をこえてきたところではじめて危機感を覚え、さらに高台に逃げていきました。地震から津波まで約30分あったのですぐ避難すればまぬがれましたが、ペットや家のことが気になって帰った人は津波で流されました。

 次の日は、若者といっしょに遺体を探し歩き8人を収容しました。その次の日は山火事が起き、みんなでバケツリレーをして火が来ないようになんとかせき止めました。さらにその翌日は町役場から避難指示が出たので道を作るために瓦礫をどける作業をし、体の不自由な人は海岸まで行ってヘリで運ばれました。避難所だった城山体育館は自家発電で電気がついていて「明るさにほっとした」と言います。

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住民の思いに根ざした復興とまちづくりを

 震災のあった20118月の選挙で大槌町議となった阿部俊作さんは、町議になる以前は農業と自動車整備の仕事をしていました。消防団長を経験していた阿部さんは、「誰かが指揮をとらないと」と100人ほどが避難している城山体育館の避難所へ行き、名簿づくりをはじめました。家まで8km離れている道のりを毎日往復し、1日3食炊き出しをしました。避難所では全員いっしょにごはんを食べるようにし、そこで様々なことを周りの人と相談しながら救援・復興に取り組んできました。

町議になってからも大槌町の復興のために力を尽くしている阿部さん。最初の町議会での質問では、復興計画に含まれていなかった病院の再建計画を入れるように求めました。しかし、現状では病院を再建するという話題は耳にしますが、実際の計画には載っていません。また、大槌町内では4つの学校が被災し、子供たちは仮設の校舎に通っています。学校の建設予定は中~高一貫校の予定ですが、建設予定地も狭く、今人が住んでいる家の立ち退きをさせた跡地に校舎を建てる計画になっています。

さらに現在、まちづくりのためにと町外から複数の研究者が大槌町に入っていますが、町内の集落ごとにあった商店を「一箇所にまとめよう」などの提案をしています。阿部さんは「小さい町なので店主も客もほとんどが知り合い。一箇所に店がまとまると、同じものを売っている店どちらにも入りづらくなる」と、これまでの地域の特色などを無視したまちづくりの問題点を指摘しています。震災で不通になっているJR山田線の復旧問題や、いち早くつくらなければならない防災計画もまだできていません。「大槌町は県内で一番行方不明者が多い町。なぜ被害が大きかったのか検証がこれから必要」と語る阿部さんの言葉に、復興・まちづくりに向けた土台を見据えることの重要性を感じました。

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