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2013年5月

2013年5月 9日 (木)

5月5日福島 「語っぺふくしま――福島の今と私たちのこれからを考えよう」

語っぺふくしま

――福島の今と私たちのこれからを考えよう

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5月5日、午前は仮設住宅への聞き取りと南相馬市へのフィールドワークをおこない、午後から「語っぺふくしま――福島の今と私たちのこれから」と題して青年のつどいを開催。

140人の参加者終結し、福島の現状を学び、自分たちの生き方や社会の在り方を語りあいました。
全体の場で発言した福島の高校生の発言を以下、掲載します。
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いま私の日常には、不安なことがたくさんあります。それらはすべて、原発事故によってつくられています。

ある日の朝、桜をゆっくり見ながら学校に行こうと、いつもと違う道を歩いていると、除染している住宅が5カ所あることに気付きました。日が差して、ぽかぽかしている中、長袖長ズボンにマスク姿の除染作業員さんの姿を見て、原発事故直後の高校合格発表のことを思い出しました。「肌を出すな」とうるさいほどいわれ、父のジャケットをはおり、マスクをして、フードをかぶり、車から建物にダッシュで入りました。空だけはいつもと変わらなかったけど、表現できないような漠然とした不安を感じながらの合格発表でした。そんなことを思いながら桜のきれいなスポットに行きました。小さいとき、親友と写真を撮ったことのある大切な場所です。しかし、そんな場所でさえも、事故によって変わってしまいました。線量が高いので、除染のため、桜の周りの芝生は閉ざされてしまいました。桜だけは以前と変わらずに咲いていました。私は大好きな歌の歌詞を思い出しました。“桜は咲く、すべてに意味があるように”といった歌詞です。たくさんの人が住む場所を奪われたり、仕事を失ったりして、いまも苦しみ続けている状況をつくりだしたあの事故に意味なんてあるのかなと考えました。ずっと考えて、福島の事故は、世の中を変える大きなきっかけになったんじゃないかと思いました。それまで日本の偉い人たちが、たくさん原発をつくってきました。私もそのことに疑問を持たずに生活していましたが、事故が起こって、原発に疑問と関心を持つようになりました。事故の後、そういう人たちが増えているんじゃないかと思います。福島にいる私が、状況を語り伝えることが大事だとあらためて思いました。

もう一つ印象に残った出来事があります。アルバイト先の店長が「君たちが大変なのはこれからなんだよ」と話し始めました。進路のことかと思ったら、原発のことでした。「影響が出るのは君たちの子、孫の世代。君たちが親になるころには、大きな決断をしなければならない。なんて世の中になってしまったんだろうね」と言いました。仮に店長が言う通りだったとして、自分が親になったとき、ここで育てるのか、ここで育てないのか、いろんなことを子どものかわりに選択しなくちゃいけないんだと思いました。いまの親世代の人は、こういうことでたいへんなのかもしれないと気付きました。その後、短大生の先輩と作業しているとき、恋の話で盛り上がり、「子どもは何人ほしい?」という話になりました。先輩は「将来、子どもはいらない。ほんとはほしいけど、放射能の影響とかで万が一、子どもに何かあったらつらいから」と言っていました。結婚する・しない、子どもを産む・産まないは別として、私は先輩の不安にとても共感しました。除染が進まず、医療費無料の援助が受けられるのもあとわずかのなか、これからどうなるんだろうと不安になったことがあったからです。

「3・11」以降、こんなふうに、日常のふとした瞬間に原発のことを考えない日はありません。減り続ける報道、たまに報道される内容を見ても、美化された内容にくやしくなったり、「すぐに逃げた方がいい」というネットの書き込みに、福島で暮らしていこうという気持ちをくだかれそうになったり、大好きな故郷を否定された思いになったり、毎日踏んだり蹴ったりです。夢なんじゃないか、夢なら早く覚めてほしい、そう思うこともあります。現実から逃げたくなる瞬間もあります。そんなとき、わたしの支えになってくれるのは、全国のみなさんの存在です。いまこの瞬間もそうです。全国のたくさんの人たちが、福島に心を寄せていることを肌で感じることができました。みなさんの存在が、私のエネルギーになっています。

この数日で見た福島、聞いた福島、感じた福島を、まわりの人にどんどん伝えていただけたらうれしいです。それもまた、世の中を変えるきっかけになると思います。私も福島から、福島を伝え続けていきます。みんなで力をあわせて、よりよい世の中をつくっていきましょう。



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2013年5月 8日 (水)

真の被災地復興に向け、全国で声をあげ行動しよう

/19から遠野を拠点に、釜石市・大槌町・陸前高田市で活動してきた第6次全国青年ボランティアセンターも、5/6をもちまして終了となります。お世話になったみなさまに事務局を代表し、御礼申し上げます。

第6次全国青年ボランティアセンターは、全国から11都道県のべ90人の参加で、釜石市・大槌町・陸前高田市で活動してきました。わかめ漁の選別のお手伝い、田んぼの石拾い、在宅被災者の家の草取り、仮設住宅へのお米のお届け、被災者の話を聞くつどいなどをしてきました。

18日間のボランティアセンターの活動を通して、被災された住民のみなさんが様々な苦しみや悩みを抱えながらも、多くの方が力強く前向きに生きていこうとしている姿に触れることができました。そうした被災者のみなさんの生活や復興への思いを共有できたことで、ボランティア参加者も被災された方もお互いに励ましあい、復興に向かう勇気を得られた活動になったと思います。
 
 また、真の復興のためには、被災地の現実を多くの人が知り、社会全体で支援の手を尽くしていくことが必要だと実感しました。ボランティア活動でできる復興支援はごく一部ですが、今回参加した人たちがそれぞれの地元で被災地の現状を伝え、国や自治体として被災者の声に寄り添った復興を求めていくことが大事だと感じました。ボランティアセンター事務局としても、今回寄せていただいた多くの住民の声を行政に届けたいと思っています。

 最後に、第6次全国青年ボランティアセンターを開設するにあたり、多大なるご支援をいただきました現地の方々、被災地の住民のみなさま、ボランティアの参加者、そして全国からご支援くださったすべてのみなさまにあらためて厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。


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被災者のがんばりを支えることが復興への道

5月4日の夜、ボランティアセンター参加者40人と陸前高田・釜石の青年たちで交流会を開催しました。様子を紹介します。

最初に、日本共産党遠野市議・小松大成さんから、自身の震災当時のお話と、ボランティアへの感謝を述べたあと、「政治に必要なことは、アベノミクスのような被災者に何の関わりもない経済政策ではなく、1日も早い復興です」と挨拶がありました。それから、自治体職員のKさん、釜石で救援活動をしてきた深澤寿人さん、陸前高田で救援活動をしてきた藤倉了介さんから、当時のお話や、救援活動で感じてきたことを話してもらいました。

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町や住民どうしを励ます被災地の姿に元気もらった

大槌の町を菜の花で~『菜の花プロジェクト』をお手伝い

52日は、東京のメンバーと事務局で大槌町赤浜漁港のわかめ選定作業。その後『菜の花プロジェクト』のお手伝いをしました。

津波で1階部分が破壊されたままの大槌中学校。その校舎のすぐ脇を流れる川沿いの一角は、昨年・一作年とかけて植えられた菜の花で一面黄色く染まっています。震災直後の5月から、川岸近くに住む金山さんが一人で菜の花を植え始めたことがきっかけで始まった『菜の花プロジェクト』はこれまでで7000人を超える全国からのボランティアが支援をしてきたそうです。この日は雑草の生い茂る土手の草刈りと石拾い。メンバーは初めて扱う草刈機に悪戦苦闘しながらも順調に作業を進め、3時間ほどで辺り一面はすっかり綺麗になりました。

金山さんは震災でお世話になった先輩や知人を20人以上も津波で失ったといいます。震災後、「生き残った自分にできることは何か。菜の花を植えることで恐ろしい津波の傷跡が少しでもやわらいで、亡くなった人の供養にもなれば」と、この行動を始めたきっかけを話してくれました。今回初めてボランティアに参加した事務局員の正保さんは「金山さんが自らも被災しながらすぐに行動を始めたことは凄いことだと思った。町の人にもボランティアとして来た人にも夢を与えられ、多くの人が大槌の町の様子を自分の目で見るきっかけになるんじゃないか」と話しています。

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2013年5月 4日 (土)

@福島 5月3日の活動紹介

 5月3日も、沿岸部のフィールドワークと仮設住宅への訪問をしました。夜には有志が「福島金曜行動」に合流し、80人超で「原発なくせ」「ふるさと返せ」「福島県から声上げよう」などコールしました。活動の後の交流会では、東日本大震災ボランティアに初めて参加する青年の発言があいつぎました。

やっと2年で被災地に

  「仕事などで忙しく、(被災地に)向き合えなかった。やっと2年で被災地に来れた」と話したのは埼玉の青年。秋田で「3・11」に遭い、物資がなくなるなどの体験をしました。「家を流された知人も『向き合えない』という。復興は終わってない。原発再稼働など、逆の流れを止めたい」と決意を語りました。
 京都の青年は、ボランティアに行った友人から「行かんほうがいい。無力感が残るだけ」と言われながらも今回初めて参加しました。仮設住宅の聞き取りでは、笑顔で受け入れられ、被災者の「知ってほしい」思いを実感したといいます。
 滋賀から参加した青年は、津波による大きな被害を受けた南相馬市をフィールドワークし、考えをめぐらしました。「たいへんなことになった町を少しでも明るくしようと、花を植えたり音楽を流す人がいる。被災者と向き合って活動したい」

「福島のことを忘れない」が何よりの力

 訪問先で被災者との交流を深めた経験についても発言がありました。京都から参加した青年は、訪問先で子どもと遊びながら、子の親と対話しました。「『子どもが外で遊んでいるのはいいですね』と話しかけたら、『(放射線のことは)考えないようにしている。本当に安全かわからないけど、子どもを心配させたくない』と語っていた」。この発言を受けて、福島の青年は「被災者の方の第一声は、『要望はない』。でも、じっくり聞けば話をしてくれるし、それが要望の実現につながる」と話しました。日本共産党のいわぶち友さんは、国と東京電力の無策で住まいや賠償をめぐって「分断」がある中、「みなさんがボランティアに来てくれたことそのものがうれしく、ありがたいこと」と話し、「『福島のことを忘れない』が何よりの力です」と激励しました。

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【写真=南相馬市】5月3日、2年間止まったままの時計が動き出しました。ビニールハウスを撤去して、来年から米の試験作付けができますように。

2013年5月 3日 (金)

@福島 5月2日の活動紹介

 福島から5月2日の活動を紹介します。

「住む場所を離れるの不安」「(原発事故は)収束してない」

 福島では、沿岸部のフィールドワークと、仮設住宅の訪問をおこなっています。5月2日は、佐原市の仮設住宅を訪問しました。「困ったことはありますか」と聞くと、「いまは不足なしに暮らせていても、いつ今住む場所を離れなければならないかわからない」「家族ばらばらになっている」「(原発事故は)収束してない」などの声を聞きました。

「報道とぜんぜん違う」「みんなに伝えたい」

 ボランティアの後の交流では、活動の感想や参加のきっかけを出し合いました。
 福井県から参加した大学4年生の2人は、アパートに配られたチラシを見て参加。「南相馬市で津波・地震の被害を見て、報道とはぜんぜん違うと思った。住民の話をしっかり聞く必要がある」「小学校で子どもたちが遊んでいたけど、放射線量を思うと、複雑な気持ちになった」とそれぞれの実感を発言。沿岸部で目の当たりにした光景や、被災者の「生の声」を受けて、「福井に戻ったらみんなに伝えたい」「継続してボランティアに行きたい」と話しています。

@福島ニュース№3

 ボランティアセンターには、地元福島の青年も参加しています。今回は、全国のメンバーといっしょに聞き取り活動や連日センターで食事や事務所の掃除を手伝ってくれているぼんちゃんに話を聞きました。

「収束宣言」撤回言わせたい

 私は、4月27日に神奈川と埼玉のみなさんといっしょに南相馬市小高地区の避難解除準備区域にフィールドワークに行きました。震災後、自分の目で初めて沿岸部を見ました。曲がったガードレールや津波で壊れた家もそのまま。「ここで人が住んでいたんだ」と想像すると切なくなってきました。でも、ここに住んでいた人たちが更地になった自分の土地を見るともっと辛い思いをすると思います。震災から2年がたちましたが、草が伸び放題で、建物も時間が止まったまま。放射能の影響の重大さを感じました。
 28日には仮設住宅へ聞き取りに行き、20代の青年に話を聞きました。その人は震災前から仕事がなく辛そうな表情でした。「働く意欲がわかない。東電から賠償金をもらえるんだったらこのままでも良いのではとあきらめの気持ちが強くなっていく」と話してくれました。仮設住宅で避難する人たちは、雇用の面でも深刻な実態を抱えていると思いました。
 福島の復興を妨げているのは、「原発事故収束宣言」だと実感しました。それがあるから、賠償も進んでいないし、対立もうまれているんだと思います。でも、安倍首相は原発の再稼働を進めようとしていて信じられない。本当に実態を見ていないんだと思いました。首相に「収束宣言」撤回を言わせたいと思いました。

全国の仲間と力を合わせたい

 神奈川と埼玉の青年と話していて、「県外の自分たちがどのようによりそったらいいんだろうか」「いろいろ聞くと失礼になるのでは」などの思いを聞きました。でも、福島に住む自分としては、県外の人が福島のことを考えてくれるのがとても大事なことだと思います。
 5月の連休は全国からたくさんの青年がかけつけてくれると聞きました。全国のみなさんとたくさん交流したいし、県外の人が福島のことをどう見ているのかを聞いてみたいです。そして、福島に住む自分の思いを伝えていきたいです。
 全国のみなさんと力を合わせて仮設に住む人の要望をしっかり聞いて発信していきたいです。そうやって原発を許さない世論をひろげて国を動かしていきたいです。

@福島ニュース№2

 29日、埼玉と神奈川の参加者が活動を終えて地元に帰って行きました。活動に参加した青年が感じたこと、考えたことをよせられた感想文からふりかえります。

被災者に心をよせていきたい

 神奈川の学生は始め、聞き取り活動について「え? これだけなの?」と疑問を持ちながら活動していました。仮設住宅の住民から苦しみや要望を聞き、「ボランティア観が変わった。この活動の本質、重要性を知ることができた」と感想をよせました。
 また埼玉の参加者は、仮設住宅で60代の女性に「困ったことはありますか?」と聞くと「(今の生活は)こんなものでしょう。しょうがない」と返ってきて「心を開いてもらえていない」と戸惑いました。しかし、その女性の目には涙がたまっているのを見て「私の方も『声を届けます』と言って涙ぐみました」と心情を感想文に書いてくれました。
 センターでは、相手の気持ちや苦しみ、「ほんとはこうしたい」思いに心をよせることを大切にしています。参加者たちは活動をつうじて実感し、真剣に考えていきました。

復興のために真剣に考えた

 28日には福島の現状を学び、福島と全国の青年が学び語り合える場をつくろうと「語っぺふくしま 青年交流会」をおこないました。
 企画では、復興の妨げになっているのが「原発事故収束宣言」であり、福島の現状を打開する第一歩になるのが「原発事故収束宣言」を政府が撤回することにあると強調しました。
 グループ交流では「政府への怒りを感じた」「被災者の大元の苦しみに政府の姿勢があるとわかった」など受け止めが交流されました。
 神奈川の参加者はこんな感想をよせています。「事故をできるだけ小さくみせよう、被害をできるだけ小さく見せようとする姿勢が県内の中での分断、県内と県外の認識の格差を生んでいるということを痛感させられた。やっぱりこの国の姿勢を変えて行くことが神奈川でもできる被災地支援の一つだなと思いました」

被災者によりそう連帯を全国で

 他にも「仮設の人の『故郷に帰りたい』という希望を実現するためにも(地元に戻ってから)まわりのみんなと考えて国を動かしていかなきゃいけない」など感想がよせられています。
 福島ボランティアセンターの活動は前半を終えました。5月からは100人以上の青年がやってきます。スタッフ一同、全国の連帯の力で被災者によりそう支援をすすめていくために活動していきます。

福島ボランティアセンターが活動スタート!(福島ニュース№1)

全国青年ボランティアセンター@福島は、4月27日にスタートしました(◎´∀`)ノ 

神奈川と埼玉から15人が参加し、4月27日から28日まで福島市で活動しました。

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★沿岸部FWと仮設への聞き取り活動

27日には原発から20km圏内の南相馬市小高区にフィールドワークに行きました。ここは、昨年4月16日に一部が警戒区域解除から避難解除準備区域になった場所でした。
津波被害を受けた沿岸部は、曲がったガードレールや壊れた住宅も手付かずのままでした。
フィールドワークに参加した青年ボランティアからは、「被災地は何となく遠い世界のような感じがしたけれど、今回、現地をまわって『現実なんだ』と強烈に感じた」、「『原発事故収束してないじゃないか宣言』をしたくなりました」など感想がよせられました。

28日、29日には浪江町から避難した住民の仮設住宅を訪問しました。

 お米やにんじんなどの支援物資を届けながら「何か困ったことはありませんか?」「要望はありますか?」と対話シートをつかいながら聞き取り活動をおこないました。

住民からは「バスが少なくて買い物が不便」「二重ローンがある」「部屋が狭い」などの声や「収束宣言はうそだ。何とかしてほしい」と国や東京電力への要望が出されました。

2013年5月 1日 (水)

はじめて見た被災地で感じたことを伝えたい

4月最後の連休は、大阪・兵庫の学生ボランティアサークルのメンバーや、埼玉、岩手県内からの参加者も加わり、この日まででのべ50人が活動に参加しました。28日から29日にかけて、大槌町でワカメの選定や菜の花植栽、陸前高田市で田んぼの石拾い作業に取り組みました。


はじめて訪れた被災地を見学、田んぼの作業のお手伝い

昨年の11月に立ち上げたばかりの学生ボランティアサークル『ベネボル』は、今回が初めてのボランティア活動でした。28日の午前中に釜石市~大槌町を周り、高台から何もなくなった町の姿や、被災したままの建物を自分の目で見た学生は、「鵜住居防災センターの周りにはなにもなかった。神戸の震災と重なり家族のことを思い出した」とはじめて被災地を見た感想を話します。

上中島の仮設住宅にも立ち寄り、佐々木トシさんにもお会いしてお話を伺いました。初めて仮設住宅を見た参加者が「あまりに狭い部屋で自分なら耐えられないと思う」というほどの環境での生活の様子や、新しくできた公営住宅になかなか入れない実態を語りながらも、終始明るい振る舞いのトシさんに「むしろこちらが元気をもらった」と話していました。

山形、静岡、沖縄のメンバーは、午前中から陸前高田に入り、市街地をみてまわったあと田んぼの石拾い作業をしました。陸前高田は、震災から2年でやっと作付けの許可がおりました。広大な田んぼを掘り返すたびに出てくる石を前に、「これじゃ、はじめられない」と田んぼの持ち主のKさん。午後からは、ベネボルのメンバーも合流して総勢20名で作業をしました。その日だけで6枚の田んぼの作業を終えて、Kさんは「本当に助かりました。ボランティアさんには本当に感謝しかない。みなさんが大変な時は今度は私がいきますね」と涙ながらに話していました

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仮設住宅で被災者との交流のつどいを開催

27日は、沖縄・静岡・山形のメンバーと釜石市~大槌町を見学。その後、大槌町の仮設住宅で被災された当時のお話をうかがうつどいを行いました。つどいの様子を紹介します。


被災当時のお話し

 大槌町の仮設住宅で自治会長をしている三浦勝男さんは、震災当日奥さんは出かけていて家で一人でした。集会場の管理もしていた三浦さんは、去年の地震の時に津波が来なかったこともあり、最初は「今回も大きいものはこないだろう」と、危機感はなかったといいます。三浦さんの自宅は6~7mの高台にあり、避難してきた近所の人たちと一緒に津波が来るのを見ていました。引いた波が堤防をこえてきたところではじめて危機感を覚え、さらに高台に逃げていきました。地震から津波まで約30分あったのですぐ避難すればまぬがれましたが、ペットや家のことが気になって帰った人は津波で流されました。

 次の日は、若者といっしょに遺体を探し歩き8人を収容しました。その次の日は山火事が起き、みんなでバケツリレーをして火が来ないようになんとかせき止めました。さらにその翌日は町役場から避難指示が出たので道を作るために瓦礫をどける作業をし、体の不自由な人は海岸まで行ってヘリで運ばれました。避難所だった城山体育館は自家発電で電気がついていて「明るさにほっとした」と言います。

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作業で汗を流し、「一緒に過ごせる時間が充実」

25日は釜石市箱崎の被災された方のお宅の庭の草取り、26日は大槌町赤浜漁港でわかめの仕分け作業を手伝いました。様子を紹介します。

在宅被災者のお宅の庭の草取り作業

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箱崎は、釜石市の市街地から少し離れたところにあります。入江になっていて、ここでも多くの家が流されました。市街地と結ぶ大きい道は海沿いにしかなく、山に通れる道を作ってほしいということも住民の要求として出されています。

25日、ボランティアセンターのメンバー3人で箱崎に住む山崎さんのお宅に伺い、庭の草取り作業をしました。山崎さんの家は、少し傾斜を登ったところにありますが、そこでも津波は庭まで来ました。山崎さんは足が悪く、日頃の庭の手入れもなかなかできません。この日は作業をしていると汗をかくほど暑い日でしたが、2時間半かけてすっかり綺麗になりました。作業をする前や終わったあとも「お茶っこしよう」と声をかけられ、コーヒーやお菓子を食べながらいろんな話を聞きました。沖縄から参加したゆきこさんは、「物資などを届ける支援も必要だけど、草取りなどの直接の要望にこたえながら被災した人たちと一緒に過ごせる時間が一番充実している」と話しています。

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