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2012年8月

2012年8月31日 (金)

汗びっしょりになって草刈り

 30日は午前に草刈りと仮設を訪問するチームに分かれ作業をし、午後からは、合流してみんなで仮設住宅を訪問。支援物資を届けながら要望を聞きました。

 センターのチラシをみて、「草刈りをお願いしたい」と依頼のあった、小高区の渡辺さんの畑周りの草刈りを行いました。原発事故から1年以上放置され、草や木は背丈ほどに伸びていました。300㎡ほどの土地を渡辺さんを含め4人が刈り払い機で平地の草を、3人が鎌で斜面の草を刈り、2人がのこぎりをつかって木を切る作業。汗がどんどんふきだし30分もするとびっしょりと服がぬれる作業でした。

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2012年8月30日 (木)

私たちの行動、絶やしてはいけない

29日は、山梨、福島、茨城のメンバーが仮設住宅を訪ね、お米を届けながら話を聞きました。

訪問先で、「何かお困りですか?」と被災者の思いの丈を聞きました。はじめは「何も困っていない」「みんな同じで我慢しているから、何も言えねえなぁ」「困っていることはあるけれど、いってもしょうがねぇ」と話す方に、「どこにお住まいだったんですか?」「いつ頃からこちらにおられるのですか?」とたずねながら胸の内を聞く事を大切に投げかけると、「早く帰りたい」「地震が起こるたびに〝原発は大丈夫か?〟と思う。収束なんてとんでもない」「収束宣言は、とても現実を見ていない」といった話を聞かせてくれました。

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2012年8月29日 (水)

福島で見て聞いたこと、伝えてほしい

28日は、茨城、千葉、山梨、埼玉、佐賀からの参加者が合流。27日から参加している兵庫と福島の青年など30人で「つどい」を開催。つどいには、南相馬で農業を営む三浦草平さん(26)が駆けつけてくれ、福島の農家の現状などを開きました。

三浦さんは、昨年11月まで千葉に避難していました。普通に生活を送る中で「このまま忘れては避難した自分たちもこれからの世代に対しても禍根を残す」と思い、原発事故を忘れないために「福島で農業をしよう。帰ろう」と決意しました。
 農業の再開にあたっては、農産物の安全性の確保が問題だったことや、福島では農協や県による農産物の放射線を測る体制をつくり、とくに米を全量調べる設備をそろえてきたこと、安全の担保を確立してつくったものが「安全です」と消費者に伝えたい思いを話してくれました。

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2012年8月27日 (月)

「涙はいっぱい流したはずなのに」と

26日は、福島の青年5人と神奈川の青年らが仮設住宅を訪れ、お米を届けながら話を聞きました。今回、訪れた所は、震災後の初期の頃に建てられた仮設住宅で、数世代に渡って住んでいた家族が、隣同士の入居を希望してもお年寄りと子どものいる家族が優先される関係で、離ればなれになって住んでいる方が比較的多い場所です。

お昼にご近所さんと話している時に、「ボランティアに来ているんです」とあいさつをしたおばあさんは、「以前住んでいた家は、クモの巣が家にはっちゃってさ」と笑ってこたえてくれました。しかし、あらためて訪問し支援物資のお米を届け、ゆっくり話を聞くと「一度県外に避難していたけど、やっぱりここに住むんだと決意をして戻ってきたはずなのに、見通しの付かない生活の事を考えると」と涙を浮かべながら「これまで涙はいっぱい流してきたはずなのにね」と胸の内を明かしてくれました。

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2012年8月26日 (日)

仮設を訪問 あふれる思いに心よせて

25日は、青年らが仮設住宅をたずね、山形のお米や徳島のすだち、千葉の梨などを届けながら話を聞きました。

この日の最年少は、お父さんといっしょに参加した京都の中学3年生です。「少し涙が出るくらい震災当時の大変だったことを聞きました。『話すだけでうれしい』と言われ、ボランティアしてよかったと思いました」と感想をのべています。

午後は2回にわけて、4月に入れるようになった小高地区を視察しました。活気があった小高の商店街に人がいない様子や、小高駅に311の日から高校生の自転車が放置されている様子をみて、「ショックをうけた」などの感想がよせられました。

【被災者からよせられた声】
 

●仮設での付き合い方が難しい。「こんな話していいのかなぁ」と、気持が小さくなる。考え事をすると眠れない。「人に迷惑をかけないように」とばかり考えている。

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2012年8月25日 (土)

3・11から時間がとまった現実をみんなに伝えたい

24日は、埼玉の青年らで、南相馬市小高区にあるNさん宅を片付けました。家は解体せざるをえませんが、その前に泥にうもれた生活の記録を一つひとつ確認。すべて運びだし、解体の費用負担を軽くしようと手伝いました。

1階の押入れをあけると、下の布団はしめってズシリと重く、毛布をひっぱると千切れました。衣装ケースには黒いヘドロがありました。泥の中からアルバムなどの思い出の品々が次々に出てきて、Nさんに手渡しました。

2階は津波被害がなかったものの、地震で屋根が雨漏りし、原発20キロ圏内で今年4月まで放置せざるをえなかったため、家財道具がすべてダメになりました。子ども部屋にあったものほとんどを捨てざるをえず、外に運び出しました。

昼食をとりながら、一緒にボランティアした福島の青年から、原発事故への思いを聞きました。作業を終え、「見違えるようにキレイになりましたね」と感謝されました。感想交流では、「311から時間が止まったようだった」「この現実を自分たちが発信しなければ」と語り合いました。

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家のなかで作業するボランティアたち



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捨てざるをえない家財道具。

どこに捨てるか決まっておらず、当面は庭先に放置。



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2012年8月23日 (木)

仮設住宅での介護、「生きた心地しない」

23日は、早朝に到着した東京の学生など9人で、仮設住宅を訪問しました。この日はちょうど集会所で週1回のお茶会。サックス奏者がきて歌をうたい、笑い声がたえません。「ここに来ると一人ぼっちじゃない。楽しい」と言います。寅さんの映画をみて、「私たちもフーテンだよね。家がなくなったし」と、みんなで笑い飛ばしていました。


お茶会の最後に、学生らがあいさつしました。「東大の一年生です」と自己紹介すると、あたたかい歓声と拍手。仮設住宅をみたいと言うと、「うちに来て」「うちに来て」と次々声がかかりました。


お邪魔したお宅では、お年寄りを介護していました。仮設住宅は介護のことを考えられておらず、風呂やトイレなどかなり不便で「生きた心地がしない」と、切々と訴えられました。別のお宅でも、7回引っ越しをくり返したことなど、切実な話を聞きました。


夕方、4月に避難解除された小高地区を視察し、その日のうちに帰りました。

【参加者の感想】
〇想像以上に苦しい生活を強いられている人たちがいた。聞き取りは地味と感じたけど、やってみると具体的な課題が見つかって大切な活動と思った。
〇被災者の力強さとともに、仮設住宅には福祉がとどかず、介護は並大抵でないと感じた。小高には被災した住宅がそのまま放置され、ひどいものだった。
〇石巻に何度もいって前に向かっていた経過を見てきたが、この景色は本当に時間が止まったままだ。


いまも家財道具が散乱。応援で「片づける気なれた」

埼玉のボランティアの人たちは、津波で家財道具が散乱したままのNさん宅を片づけました。家の前までは、自衛隊がガレキを撤去したそうですが、家のなかは自己責任で、1年半近くたっても見通しが立ちませんでした。10人近いボランティアが駆けつけたのをみて、おばあちゃんが、「やっと片づける気になれました。自分たちだけじゃ、とてもとても…」と話してくれました。

崩れかけた屋根や流れ込んできた軽自動車をひっぱりだし、大きな家財道具を整理することができました。夕方に埼玉から到着した若者7人も加わって、明日も片づけ作業をすることにしています。

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2012年8月22日 (水)

仮設住宅へ訪問をはじめました

22日は、ボランティアセンターの近くにある仮設住宅をたずね、支援物資を届けながら要望を聞きましたsign01

全国から届いたお米をお渡しして、「お困りごとはありませんか」「どこに住んでおられましたか」と切り出すと、次々に思いがあふれましたthink

原発から20キロ圏内の自宅があったおじいさんは、4月から日中は帰れるようになって片づけに通っていたと話してくれました。「お盆までは何とかやっていたけど、もう疲れた。この調子じゃ、2年くらいかかる」と言います。「頑張れといわれるけど、原発で畑仕事もやれなくなって、頑張りようがない」。青年が親身に話をきき、片づけのお手伝いをしますよと励まし、連絡先を交換しました。

山間で放射線の数値が高く、入れない地域に自宅がある老夫婦の話も聞きました。広くて新しい家に、幼い孫といっしょに住んでいたのに、バラバラになったと言います。「行政が試験的に除染をやったけど、何の見通しもたっていない。政府は収束宣言をだしたけど、元のように住めるようになるのが収束じゃないか」と憤ります。

小学校低学年の子どもをもつお母さんは、「学校の生徒は半分くらいになってしまった」と話してくれました。夏休みで避難先からたまたま戻っていたというおばあちゃんは、「向こうでは寂しいけど、こっちは話し相手がいて楽しい」といいます。

この仮設住宅には、津波被害、地震被害にあった方もいました。住んでいる地域が少しちがうだけで被害は様々で、とくに原発事故が重くのしかかっていました。青年らは、ていねいに話をうかがうことが大事と実感したと感想を話していますclover

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片づけ作業をするお宅を見に行くと…

センター開設の初日は、まず、片づけ作業をするお宅を見に行きました。

4月に解除された地域に入ると、とたんに景色が変わります。道路のガードレールは津波でゆがみ、田畑にはぺんぺん草が…。1年以上も人が入らなかっただけに、独特な感じがしました。

一軒目は大きな民家でした。解除後に女性2人で片づけていたそうです。家財道具が倒れ、モノが散乱し、約2メートルの高さに津波の爪痕が刻まれ、「あの日」から時間がとまったようでした。家に流れ込んだ泥は、堅く固まっていました。

二軒目は文房具屋さんでした。津波の被害はなかったものの、片づけはすすんでいません。以前は地域の中心的商店街だったそうですが、人通りはまったくありませんでした。

斜め向かいの小学校も閉校され、再開のめどがたっていません。グランドは草ぼうぼう。文房具屋さんは、子供たちがいつ戻ってくるかしれないし、片づける元気も起きないそうです。

今日は全国各地から、約500キロのお米が届きましたsign01ありがとうございますhappy02さっそく明日は、仮設住宅にお届けにいきます。

2012年8月21日 (火)

1年4ヶ月も人の手が入らなかった町

ボランティアセンター@南相馬は21日、開設しましたhappy01

開設にあたって、ボランティア隊長の中川さんが現地視察した時のようすを、以下のように話してくれました。

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福島市内から車で沿岸にむかって2時間ほどで南相馬市に着きます。途中通過する飯舘村は全村避難していた地域ということもあり、空き家が目立ちました。南相馬市の真ん中に位置する原町区は、去年から人が戻っていることもあって、車や人の通行もあり、大通りの店もほとんどが営業していました。南相馬市役所で、渡部寛一市議と合流し、南部の小高区に向かいました。

小高区に入るとすぐに景色がかわりました。田んぼや畑は伸びきった草に覆われ、ときおり津波で流されたままになっている車がありました。人通りはなく、いくつかある店舗や家屋も地震や津波のあとが生々しく残っていました。小高区は原発から20km圏内にある地域です。4月16日に警戒区域が解除されるまで、1年4ヶ月の間、人が入れない状態でした。

沿岸部にある井田川干拓地(写真左)は、200ヘクタールの畑が津波にのまれました。水を組み上げるポンプも壊れ湖のようになっていましたが、最近少しずつ水抜きができるようになりました。津波で更地になった土地や家の庭先には瓦礫が積まれています。「瓦礫を片付けようと思っても除染も進まず、どこでどう処理するのか決まってない」と渡部議員。警戒区域が解除されて家の様子を見に行っても、目の前の状況に落胆する住民の方がほとんどだといいます。小高駅前の商店街では、営業を再開しているのは散髪屋さんの1件のみ。「必ず小高で再開します」と書かれた店舗もありました。

●いま福島に求められていること

目に見えない放射能は、福島の人々に深刻な被害と分断をもたらしていることがわかりました。福島の人たちは、国からまともな対策もされないまま、先のことが何もはっきりしないまま「忘れられてしまうんじゃないか」という不安な思いを抱きながらいまも生活しています。1年4ヶ月の間手つかずだった自分の故郷を目の当たりにし、「子どもも戻ってこないのに片付ける気力がない」「これからどうなっていくのか」と、生きる希望が奪われています。そんな福島の現状を知り、伝えていく青年がふえることが福島の人たちのなによりの励みになります。

今回の南相馬市でのボランティア活動は、主に仮設住宅に避難している方に救援物資を届けながらお話を聞くことです。「お元気ですか?」と声をかけ、震災当時の話や生活のことも聞きながら、頼まれた家の片付けなどもしていきます。ひとりでも多くの人が福島の実態に触れ、原発について、日本の未来について考えあえること、そういうきっかけになるボランティアセンターになると思います。みなさんの参加を待っています。

2012年8月 6日 (月)

第5次ボランティアセンター@南相馬を開設します。

○第五次ボランティアセンター@南相馬を開設します。

 民青では、2012年8月21日(火)~9月3日(月)の間、福島県南相馬市で第五次ボランティアセンターを開設します。地震や津波の被害に加え、原発事故が深刻な影響をおよぼしている福島県南相馬市で、被災者によりそった支援をするとともに、原発事故の影響に苦しめられている被災者の実態にふれ、原発ゼロの日本への連帯を広げるきっかけにします。
 ボランティアのとりくみは、交通や食事などで現地の負担にならないよう心がけることが大切です。参加を希望される方には、以下の活動の概要と要項を徹底し心構えと準備をよろしくお願いします。

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