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2012年4月30日 (月)

「聞いてくれてありがとう」 福島の83才のおばあちゃん

29日、福島では仮設住宅への訪問が本格的にスタート。浪江町から避難してきた方々を、青年ら16人で訪ねました。「生きているうちに帰れないかもしれない。でも本当は、ふるさとで死にたい」。ぽつり、ぽつりと語られる言葉に耳を傾けました。

◆戦前・戦後の人生をかさねて

83才の女性は、原発に奪われたものを、人生を振り返りながら語りだしました。戦前、満蒙開拓団として家族8人で中国にわたり、3人しか戻れなかったこと。浪江町で苦労して開墾してきたこと。牛をふやし、野菜をつくり、ようやく安定した生活が送れると思った矢先に事故が起こったこと。再び開拓したものを失い、体も壊してしまったこと…。2時間ほど語って少し元気になれたようで、「話せてスッキリした。聞いてくれて本当にありがとう」と言ってくれました。
「子どもや孫のためには、もう原発はいらない」。そう語る横で、孫たちはボランティアの青年といっしょに、楽しそうに縄跳びをしていました。

◆放射能への不安と家族の葛藤

支援物資として高知産のお米とセリを手渡すと、「福島県産じゃないですよね」と確認するお母さんもいました。原発関連の情報を信用できなくなり、県内産のものを食べず、知人があげようと持ってきても「それ、苦手だから」と断るようにしてきたといいます。
じつは夫が東電社員で、いまも原発で働いていると打ち明けてくれました。放射能をめぐって夫と言い争いになるし、まわりから白い目でみられることもあるそうです。原発問題の根深さが垣間見えました。

◆子どもから我が家への思い

小学生と遊びをしながら、こんな話も聞きました。「おうちの水仙、チューリップ咲いているかな?おばあちゃんがお花をたくさん植えたんだよ」。かつて住んでいた家の様子を楽しそうに語る姿をみて、原発事故は当たり前の生活をうばったとつらい気持ちに。同時に、自分たちに出来ることを考え続けたいとの思いを、新たにしました。

◆「目に見えない被害」の傷

「行政が水道水を検査して『大丈夫』と言われたけど、もう信じられない」。ある被災者は、原発と東電への思いのたけを語ってくれました。「原発は、日本中どこも安全じゃない。再稼働は信じられない」。また、今後のことについて、「放射線の被害は目にみえない。津波被害は映像で後々まで伝えられるけど、福島は忘れ去られてしまうのでは」という不安も出されました。

聞きとり後の全体交流では、一つひとつの「目にみえない被害」を知った衝撃とともに、地元に戻って福島のいまを語り広げたいという意欲が交流されました。

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