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2012年4月

2012年4月30日 (月)

政府・行政の役割が見えてきた@宮城

~アンケートの集計結果から~

 石巻市の在宅被災者への訪問では、2日間で92人が実態調査にこたえてくれました。調査アンケートをまとめると、在宅被災者の生活再建への課題、政府・行政の役割が見えてきました。

住宅の改修費用については、81%の人が、「市の補助だけでは足りない」と答えています。中には「できるかぎり修理するけど、お金なくなったらそこで改修は終わり」と、あきらめさせられている方もいます。「同じように津波をかぶり、両隣りの家は『全壊』と認定されたのに、自分の家は“ガレキが入ってない”という理由だけで『半壊』にされた」など、被災者を「線引き」することへの不満の声もありました。

被災者個人への補償については、阪神淡路大震災後、住宅が全壊した被災者に、最大300万円まで支援する国の制度ができましたが、今回のアンケートでは、改修費用の平均は約570万円、中には1300万円かかった人までいます。在宅被災者は、住宅だけでなく、冷蔵庫や冷暖房設備など生活必需品も多くが津波で流されており、支援かなければ自分で買い変えなければいけません。「せめて改修費用の補助を増やしてほしい」という願いは決してぜいたくではないはずです。国の補助を抜本的に拡充することが求められています。

行政への支援では、街灯の設置や側溝の補修が不十分で、「夜街に出るのが不安」という声が多くありました。同時に、あまり行政の仕事とイメージされにくい、「雇用」「事業の再開」などの要求も少なくありませんでした。

「全国青年ボランティアセンター2@宮城ニュースNO.7 2012年4月30日」
PDFのダウンロード

つどいを開きます!@宮城

宮城登米センターでは、
5月4日18時半からつどいを開き、70人以上の青年が参加する予定です。

日本共産党・気仙沼市議の秋山善治郎さん、登米市議の工藤淳子さん、佐藤尚哉さんが、3月11 日直後の状況や、復興のために政治が果たすべき役割についてお話していただきます。

全国から「何か力になれれば」と集まっています@宮城

宮城センターに富山、新潟、東京、奈良、大阪、高知、佐賀から30人

宮城センターには、各地から青年ボランティアが集まっています。28 日は、高知、富山、大阪のメンバーが石巻市の在宅被災者を訪問し、要望を聞きました。

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生活改善の課題、つぎつぎ

「お店が遠くて買いだしに時間がかかる」
「街灯がないので、夜側溝にはまりそうになった」
「庭のじゃり、植木が流れたので補充して」
「救援物資が届かなくなった」
「レンジや電気カーペットがほしい」
「市役所の人が来ない。廃材の収集も止まってる」

被災者を訪問して寄せられた声です。地図と調査用紙を片手に、一軒一軒訪ねていくと、多くの要望や生活改善の課題が見えてきました。

「リフォームに800 万かかったが市の補助は160 万」
「修繕はお金がなくなったらおしまい」
「義援金が全く足りない」

収入が減ったり、途絶えたりして、生活が苦しくなっていることも共通しています。
この日1 日で25 人を訪問し、被災者の要望がリストになりました。中には家の中にあげてくれて、3月11 日直後の状況や、ご家族のお話まで聞くことができた被災者もいます。「気持ちが落ちていて、やる気がしなかった。話しただけで気が楽になりました」と感謝の言葉もかけられました。

ミーティングで話しあって

夜のミーティングでは、4つのグループに分かれて、ボランティアに参加しようとした思いや、訪問活動や被災地の現状を見た感想を交流。「最初はそんなに話してもらえないと思っていたけど、聞いてみるとまだまだ支援が必要なことがわかった」「行政がすべきことを放置している印象を受けたのでもっと声を集めて困っていることを解決しないといけないと思った。地元に帰って聞いたことを伝えていきたい」などの感想が出されました。「こういう時はどう声をかけたらいい?」と話しあった班もあります。遠慮していたり、言いづらそうな被災者への聞き方の工夫も出し合い、より被災者の気持ちにあったボランティアになるよう議論しました。

被災地を視察してきた新潟や奈良のメンバーからも、「テレビで見るのとは違い、復興はまだまだこれからだとわかった」「被災地を見て言葉がでなかった。明日から見たことを胸に刻んでがんばりたい」という思いが出されました。

29 日からは新潟、奈良、佐賀、東京も加わり、引き続き要望を聞きながら、こたえていきます。

~参加者の感想から~

「訪問したときに『人恋しかったので、話すことができて嬉しい』と言われて、来てよかったと思った。お金が足りていないことを実感したので募金活動できればいいな」(高知T さん)

「津波の元の方に近づいていくと、段々と直されずに放置されている家が目立ってきて、残された方がさびしそうにしていたのが印象的だった」(富山K さん)

第4次ボランティア@宮城ニュースNo6.pdf」をダウンロード


「聞いてくれてありがとう」 福島の83才のおばあちゃん

29日、福島では仮設住宅への訪問が本格的にスタート。浪江町から避難してきた方々を、青年ら16人で訪ねました。「生きているうちに帰れないかもしれない。でも本当は、ふるさとで死にたい」。ぽつり、ぽつりと語られる言葉に耳を傾けました。

◆戦前・戦後の人生をかさねて

83才の女性は、原発に奪われたものを、人生を振り返りながら語りだしました。戦前、満蒙開拓団として家族8人で中国にわたり、3人しか戻れなかったこと。浪江町で苦労して開墾してきたこと。牛をふやし、野菜をつくり、ようやく安定した生活が送れると思った矢先に事故が起こったこと。再び開拓したものを失い、体も壊してしまったこと…。2時間ほど語って少し元気になれたようで、「話せてスッキリした。聞いてくれて本当にありがとう」と言ってくれました。
「子どもや孫のためには、もう原発はいらない」。そう語る横で、孫たちはボランティアの青年といっしょに、楽しそうに縄跳びをしていました。

◆放射能への不安と家族の葛藤

支援物資として高知産のお米とセリを手渡すと、「福島県産じゃないですよね」と確認するお母さんもいました。原発関連の情報を信用できなくなり、県内産のものを食べず、知人があげようと持ってきても「それ、苦手だから」と断るようにしてきたといいます。
じつは夫が東電社員で、いまも原発で働いていると打ち明けてくれました。放射能をめぐって夫と言い争いになるし、まわりから白い目でみられることもあるそうです。原発問題の根深さが垣間見えました。

◆子どもから我が家への思い

小学生と遊びをしながら、こんな話も聞きました。「おうちの水仙、チューリップ咲いているかな?おばあちゃんがお花をたくさん植えたんだよ」。かつて住んでいた家の様子を楽しそうに語る姿をみて、原発事故は当たり前の生活をうばったとつらい気持ちに。同時に、自分たちに出来ることを考え続けたいとの思いを、新たにしました。

◆「目に見えない被害」の傷

「行政が水道水を検査して『大丈夫』と言われたけど、もう信じられない」。ある被災者は、原発と東電への思いのたけを語ってくれました。「原発は、日本中どこも安全じゃない。再稼働は信じられない」。また、今後のことについて、「放射線の被害は目にみえない。津波被害は映像で後々まで伝えられるけど、福島は忘れ去られてしまうのでは」という不安も出されました。

聞きとり後の全体交流では、一つひとつの「目にみえない被害」を知った衝撃とともに、地元に戻って福島のいまを語り広げたいという意欲が交流されました。

2012年4月29日 (日)

ありのままの福島を見てほしい

地元で被災者支援にがんばってきた青年の思い

28日、福島でも青年ら約15人で活動をはじめました。地元の民青同盟員としてがんばってきた佐藤大河さん(福島・伊達被災者支援センター事務局長)に、この間の活動や開設にあたっての思いを聞きました。

――震災から1年余、福島のいまは…
 昨年末から仮設住宅を訪ねて要望を聞いてきました。「床が冷える」「結露がひどい」「とにかく狭い」など困りごとが次々に出されました。「あっちこっちに避難して、もう動きたくない」という声も。9カ所まわったとか、娘のところに行ったけど居づらくなったとか、苦労してようやく落ち着いたとの思いです。仮設住宅の自治体の努力もあって暮らしは少しずつ改善していますが、生活や家族のことで悩みは尽きません。
 被災者の一番のストレスは、先行きがみえないことです。原発の影響でふるさとに帰れるのか、この先どうなるのか、不安に思っています。
先日、夫が原発で働いている方の話を聞きました。早朝3時起床で出かけ、夜9時に帰宅。「自分が何とかしなきゃ」と働き続ける夫を、心配していました。原発への思いを聞くと、「怒りが沸騰しています。補償金をもらっても、許せるもんじゃない」と話してくれました。
 
――どんな思いで、活動していますか。
 話を聞いていくと、仮設の住民の困っていることや要求がみえてきて、住民自身が声をあげることにつながっていくんじゃないかと思います。そして、どうするかを一緒に考え、自治体や国に働きかけたい。
 じつは僕自身、原発のことを考えて涙が出ることがあるのですが、何に対して涙がでるのか分からなくなります。昨年の全国青年大集会では、県外の人たちに福島のことをアピールしようと参加したのですが、何を伝えたらいいのか分かりませんでした。不安にさせたい訳でもないし、かわいそうと思ってほしい訳でもない。その一方で、福島が孤立していくんじゃないかという思いに駆られることもあります。
 全国から青年がたくさんくるのは、とてもうれしいです。ありのままの福島をみんなに見てほしい。僕自身もどう考えたらいいか分からなくなるような福島の現状を、そのまま見てほしい。全国の青年といっしょに活動するなかで、僕も何かを見つけていきたいと思います。
 
――今日から始まりましたね。
 みんなで、あーしたらいい、こーしたら、と手探りでやっているのが楽しいですね。震災から2ヶ月後、福島の青年たちでやったチャリティーライブを思い出しました。大変な中、みんなで考えて、福島で暮している人たちを励まそうと作り上げました。今回もそうなれば面白いなと思います。


全国青年ボランティア@福島ニュース№2はコチラ↓
「fukushima_No.2.pdf」をダウンロード


【高知からの支援物資のセリを仕分けする参加者】
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2012年4月25日 (水)

ボランティアセンターの一日@宮城


ボランティアセンターでの生活や
ボランティアの心得を到着された方に渡しています。

どんな感じでやるのかな~?と思う方はぜひ、読んでみてください。tulip


flair全国青年ボランティアセンターでの活動について

2012年4月

 ボランティアの心得

1、無理をしないこと    張り切りすぎて事故を起こすと、被災地に迷惑をかけてしまいます。無理をしない決断は、ボランティアをつづけるうえで最も大事です。

2、自立を支えること    ゆっくり待ち相手の自立を支えることも大切です。被災者の思いに心をよせ、話し相手になり、生活再建への歩みを支えましょう。

3、楽しんで活動すること  思いつめると自分からも相手からも笑顔が失われてしまいます。楽しんでやることで、あなたの気持ちも相手に伝わるでしょう。



 センターの一日(ボランティア活動地によりスケジュールが異なります)

6:30 起床        みんなで布団の片付け、朝食とお弁当の用意をします

7:00 朝食&昼食準備・一日の行動の打ち合わせ

8:00 出発        現地まで約1時間かかります。

9:00 石巻到着

 ~        市内の在宅被災者に生活実態や要望を聞き取りします。

 16:00 石巻出発

    風呂:石巻市内の温泉を利用します。※センター備えつけ風呂も利用できます。

 18:00 夕食

 

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19:00 夜のミーティング  その日の行動について発表しあい、意見交流をします。

20:00 自由時間

22:00 消灯        みんなで部屋を片付け、布団をしきます。




 お願いしたいこと

 センターの全生活を、みんなでつくろう。「人の役にたちたい」とのボランティア精神で、一人ひとりの自主性や創意工夫をいかし、センターの活動をつくりあげたいと思います。

・役割分担

 センター内での生活をつくるために、役割分担の参加にご協力をお願いします。

 朝―朝食の配膳・片付け→

  布団の片付け

  昼食用のおにぎり準備

  部屋・廊下の掃除―掃除機は廊下の南西角、ほうき類は北側廊下の押入れにあります。

  夜―夕食の配膳・片付けなど

 

・食事係り

 人数が多い場合、食事の準備をすすめるために、ボランティアの中から食事係りを募ることがあります。ご協力をお願いします。


 

 センターのある登米市も被災地です。地元に負担をかけないよう心がけます。被災して大変なときにお邪魔しています。道路などで地域のみなさんに会ったら、挨拶で感謝の気持ちを伝えます。とくに、センター近隣の騒音にならないよう外でのおしゃべりは気をつけます。

 日中は班ごとに行動します。はじめて一緒になった人とも、ボランティアの心得やお互いの思いを大切に、力をあわせます。最終的には班長の判断に従いましょう。

 万全の装備をし、ケガなどに気をつけます。被災地のガレキや廃材には、アスベストなど有害物質が含まれています。裂傷で破傷風の危険も。マスクなどをし、細心の注意をしてください。

 被災地での写真撮影は、最小限にしてください。被災者のみなさんは、ふるさとの変わりように深い悲しみを感じています。その気持ちを害さないようにしましょう。


◆センター@宮城での活動(PDF)

「actincenter_Miyagi.pdf」をダウンロード









第四次ボランティアセンターの要項

 第二次、第三次と同様に
宮城県登米市に開設したボランティアセンター

(2012年4月17日~5月6日)

要項など、アップします。happy01sign01


◆参加申し込み要項
「volu_youkoumiyagi.pdf」をダウンロード

◆参加申し込み用紙

「4thvolu_moushikomi.xls」をダウンロード




民青同盟のHPはこちら→ http://www.dylj.or.jp/

少しでもお役にたてたら

24日から愛知と東京のメンバーがボランティアに参加しています。参加者の感想を紹介します。(※福島にもセンターが開設されたことに伴って、ニュース名を@宮城としました)

 

●6軒のお宅を訪問


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大学4年生、男性…1軒目に行った家では「床はまだ張り替えていない」と言っていました。「夫は大工だから生計を立てるための仕事に手いっぱいで、自分たちの家の修理はこれから。一人で大工をやっているから。新築の依頼には応じられない」と今後の仕事が減るのではという不安を聞きました。


23歳、男性…一軒目のお宅を伺って、「娘がね…」と言いながら、手を震わせながらアンケートを書いて下さるお宅があったのが印象的でした。家の改修費用への不安もあるんじゃないのかなと思う。十分足りているよというお宅も、頼みづらいというのもあるんじゃないかなと思う。

 

渡辺裕さん、男性…「ボランティアいいよ」と言われるのではと少し不安だったけど、コンビニでは「ごくろうさまです」と言われ、暖かく迎えてくれた。被災者の方にも好意的に話しをしてもらえて安心した。「復興」という言葉にはまなだま大きな差がある。自分の行動が少しでも本当の復興につながればと思う。

 

24日に到着した0さん、女性…8月にもここのボランティアセンターに来ました。石巻に知り合いがいたけど、こちらに来るときも、怖くて詳しい住所を調べないまま来ていました。8月に作業した場所は見覚えがある街並みで…。でも、今年の2月に年賀状が帰って来て、知り合いも知りあいの家族も無事だったことが分かりました。ほっとしています。昨年、見ていたものがどうなっているのか、心にとめておきたいと東京から来ました。

 

 初めて被災地を訪れて

大学4年生、男性…言葉が見つからなかった。小学校が被災していてこいのぼりが掲げられていてつらくなった。大川小学校の周辺は更地で何もなかったから、本当に家があったのか、どういう街並みだったのか。その集落が全部消えてしまったような気がして、虚無感でいっぱいです。

23歳、男性 …視察で南三陸町や石巻の高台からの何もなくなった街をみると、余計にいろいろなことが頭をよぎりました。2011311からのテレビの映像を被災地の実情を目にした後、見返すことで、そこにあったはずの人の営みの大きさを感じました。



◆全国青年ボランティアニュース@宮城 no4 「4thvolu_Miyagi4.pdf」をダウンロード


2012年4月23日 (月)

福島センター開設にむけて聞き取り活動を実践

 全国青年ボランティアセンター@福島を28日から開設するのに先駆けて、現地でボランティア活動にとりくんだ福島センター担当の林竜二郎中央副委員長に話を聞きました。

●「戻りたいけど、戻れない」「先行きが見えなくて不安」――切実な声寄せられる

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 福島では、いま仮設住宅にお米などを届けながら、思いや要望を聞くボアランティが必要とされています。私は21日、富岡町と川内村からの被災者が住んでいる仮設住宅を訪ねました。福島や兵庫の共産党の方々といっしょに、2人1組のチームで、1戸1戸「ごめんくださーい」と訪問していきました。
 「先が見えないのが気がかり」と話す80代の女性は、「家や土地があるから戻れるなら戻りたいけど、放射能のこともあるから…」と顔を曇らせました。別のおばあちゃんも、「死ぬまで戻れないだろう。毎日毎日が面白くない」といい、生活の不満を次々に語りました。他の人からも「孫が結婚できなくなるかも」「年金ぐらしで負担がふえ、大変」という声も寄せられました。
 はじめは乗り気じゃなかった方も、つぶやきを1つ1つ受け止めていく中で将来不安や生活の不満など、どんどん話がふくらみます。避難当時のつらい思いや、原発で働いた過去への葛藤も出されました。その思いに心をよせて話を聞くだけで、穏やかな表情になったように思います。いまも深刻な現実があるだけに、思いを受けとめ共感してくれるボランティアが、切実に待たれています。

●福島のこれからや原発のことを、全国の青年と語り合いたい
私はこれまで、津波で被害をうけた地域でボランティア活動をやってきましたが、福島は状況が全然違うと思いました。「戻りたくても、戻れない」と多くの方が苦しんでいます。家も町もあるのに、そこには帰れないという話を聞き、本当に切なくなりました。自分を育んできたふるさと戻れないことは、自分の人生を奪われ、アイデンティティを失うほど、つらいことだと思います。
政府はいま、原発を再稼動しようとしていますが、とんでもないことだと思います。福島の方の思いを聞いて、何もしないではいられないとの思いを強くしました。ぜひ全国の青年といっしょに、福島のこれからや原発について語り合いたいです。また、集めた声を国会や行政に届けて制度の改善や原発をなくす力にしたいと思います。
全国青年ボランティアセンター@福島を開設する福島市内には、飯舘村や浪江町、双葉町に住んでいた方の仮設住宅が1000戸以上ありますが、訪問活動はこれからです。青年の力で、一気に対話をすすめたいです。先日に聞き取り活動では、支援物資のお米が非常に歓迎されました。毎日の生活が大変で放射能の不安をいだいている被災者のみなさんに届けるお米を、ボランティアに来る時にぜひもって来てほしいと思います。
※ 福島では、全国からのお米がたいへん歓迎されます。ぜひお寄せください。

◆第四次ボランティアセンター@福島ニュース No1(PDF)

「4thvolu_Fukushima_no1.pdf」をダウンロード


 

被災地が自立できる復興支援を

2122日は、東京と沖縄のメンバー24人で宮城県石巻市の津波被害をうけた在宅被災者を訪問してきました。在宅被災者の住む家を地図に書き込み、可能な方からは実態も聞かせてもらいます。二日間で73人の方から要望や実態を聞くことができました。

 

●家の改修費用、街灯の設置、被災地の自立支援・市との連携を

「家の改修の公的補助150万円の補助で修理できる分しか直さない」という声や「震災後、飲料水が濁っているから飲料水を買っている」「震災時に防災無線が聞こえなかった」「街灯がないから暗くて危ない」「震災後に体調を崩した。車を持っている姉の仕事が忙しく、タクシーで通って交通費がかかる」「老後の蓄えを電化製品を買うお金にあてている」など、細かい要望をたくさん聞きました。

ある年配の男性は「ボランティアは仮設に入り過ぎている。自分たちのことは自分たちでとりくまないと石巻の復興はない」と話してくれ、40分ほど話をしました。全国青年ボランティアセンターの仲間が「僕たちは自立を支える復興の在り方が大事だと思う」と話していくと男性は「市に要求しすぎてもダメ。人でもお金も足りていない。市民と市がどう連携して復興していくかがカギだ」と話してくれました。ボランティアセンターには全国から青年が何かしたいと集まってくることや「被災地で感じたことを持ち帰って自分たちに何ができるのか考えていきたい」と伝えると「在宅の被災者のところは誰も支援に来ないから、君たちがやっていることはいいこと」と話してくれました。

ボランティア参加者は「細かい要望がたくさん出される」「どういう復興の仕方がいいのか考えさせられた」「被災者の人から、復興についての意見が出されるようになってきている」と感想を話しています。また、ボランティアにコーヒーを出してくれ、震災当時のようすを話してくれる方もいました。参加者から「逆境を乗り越えていこうとしている姿に、逆に元気をもらえた気がします」と感想を話す初参加の人もいました。

 

 

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地図は二日間で300軒以上、地図落としをすることができました。民青同盟で集めている「まともな仕事と人間らしい生活を求める請願署名」にも22人の方が署名してくれました。「座イスを洗って欲しい」とボランティアの相談もあったので応えていきたいと思います。

 

 「また来たんだね」「駐車場使ってもいいよ」

ボランティアセンターの事務所がある登米市も震度6強の揺れがあった被災地です。昨年6月、8月にあった全壊の家は取り壊され更地になっていました。ご近所には柱や壁にひびが入っている家もあります。沖縄からの参加者は「石巻とかはTVのニュースでも聞いていたけど、登米市のことはここに来て初めて知った」と話していました。ご近所の方には、「また来たんだね」「うちの駐車場使ってもいいよ」とあたたかい言葉をかけてもらっています。



●ボランティアニュースno3(PDF)

「4thvolu_news3.pdf」をダウンロード


東京の学生ボランティアワゴン・練馬のみなさん、お疲れさまでした

 21日、午前3時 練馬のみなさん到着
 同日、午前4時  学生ボランティアワゴンのみなさん到着

というなんともハードな日程で22人のみなさんが宿泊し、
22日のお昼まで一緒に活動をしました。

こんなに強行スケジュールで20人もの方が来られる。
みんなの思いはすごいなと思いました。

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22日からは沖縄からの参加者も到着し、事務局も合わせて24人ほどで300戸以上のお宅を地図に印すことができました。

実態は73人の方から聞かせてもらうことができました。

22日の夜は、残ったメンバーで聞いてきた声をデーター入力しました。

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 被災地視察をする学生ボランティアワゴンと
練馬のみなさん

2012年4月20日 (金)

在宅被災者へ聞き取り調査をしました

 19日は、宮城県石巻市の津波被害をうけた在宅被災者に訪問して生活実態や要望を聞きました。

 

●情報がもっとほしい

新舘地域の男性(63歳)の家に訪問すると、家の中に上げてもらい、実態アンケートに協力してくれました。震災当時は2m以上の津波が押し寄せて4日間水が引かなかったため、家の二階で生活していたそうです。同じ地域の多くの家族が避難所や仮設住宅に移りましたが、男性の家族は家に残り生活を続けました。地震直後は、食材が不足し、「1人5つまで」と制限された乾麺を求めて行列に並んだことや、津波で失業したが、個人事業だったので失業保険がおりず、貯蓄を切り崩しながら過ごしていることなど、震災後の生活の困難を聞きました。「何か要望はありますか?」と聞くと、「市からの情報がほしい」と話してくれました。男性は津波被害をうけた1階の工事を行い、行政からの修繕補助をうけましたが、自分から市に電話で問い合わせてはじめて補助制度を知りました。「市の情報がまったく入ってこない。もっと情報が入ってくるようにしてほしい」と話しました。

 

●側溝の補修の援助費がほしい

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 次に60代の夫婦のお宅に訪問してお話しを聞きました。津波で入り込んだ家の1階の泥や庭の片付けは、震災後、2人で徐々に片付けていったそうです。「何か要望はありませんか?」と聞くと「今は落ち着いているから特には…」と話していましたが、「家の前の道がまだ片付いていない」と話してくれました。道の側溝を見てみると地震でブロックが崩れて、雨の日は水があふれてしまうそうです。「この道は公道ではなく私道だから、市の手が入らないから自分たちの負担でやらないといけない。でも、せめて半分は行政からの援助がほしい」と話してくれました。

他にも「放射線物質の線量の情報がほしい」「どんな復興制度が出されているのか知りたい」「行政に住民要求を伝える場があったらいい」などの声がよせられています。

 

 この聞き取り調査では、在宅被災者から「今は生活が落ち着いて自立できている」「片付けはひと段落ついた」という声がある一方、「仮設には支援が行くけれど、自分たちのところには来ない」「情報が全然入ってこない」という思いを抱えながら、家の片付けや生活再建に必死に取り組んでいる姿が見えてきました。

 第四次全国青年ボランティアセンターは、岩手、宮城、福島で「被災地域実態調査」を行い、仮設住宅や在宅の被災者から聞いた声を地元共産党と連携しながら集約し、自治体や行政に届けていこうとしています。


■ボランティアニュースno2(PDF)

「4thvolu_news2.pdf」をダウンロード


 

2012年4月18日 (水)

あいさつまわりと、沿岸部被災地へ

 417日に第4次全国青年ボランティアセンターが開設しました。前回に引きつづき宮城県登米市を拠点に被災地支援活動をおこなっていきます。

 

●センター周辺へ挨拶――新聞の片づけを手伝うことに

 17日は、事務局のメンバーと、地元登米市在住の青年といっしょにセンター周辺の住民の方がたに訪問してあいさつをしました。

道路で近所の方と立ち話をしていたおばあさんに声をかけると「去年のボランティアセン ターの時は、広島や福岡の若い人たちに地震で倒れた家具などの片づけを手伝ってもらって助かったんだよ」と話してくれました。「今回も、沿岸地域と合わせ てセンター周辺の内陸地の方がたのお手伝いをしたいと思っています。気軽に声をかけてください」と話すと、「実は、うちは80代の夫婦二人暮らしで、たまった新聞が多すぎて片付けることができない…」とおばあさん。「ぜひ、やります!」と切り出すと「じゃあ、お願いする」と話してくれ、後日、新聞の片づけを手伝うことになりました。

 その他にも、訪問すると家の中にも上げてもらい震災当時のことや、いまの生活のことを聞いたり、世間話をしました。

 

●被災地視察へ――「生活再建の一歩、自分も支えたい」

 

 

 その後、津波被害があった南三陸町や気仙沼市本吉地区を視察しました。

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去年8月よりガレキの撤去や、仮設の店舗やコンビニエンスストアの営業再開など、復旧と復興が進んでいるように見えました。しかし、平地の多 くは津波に流され更地の状態でした。事務局の阿部泰樹さんは視察を終えて「ガレキの山や傷ついた建物がまだまだ残っていて、地震と津波が住民の希望を奪っ たんだなと思った。これからは、沿岸地域で仮設住宅の住民の方に聞き取りをする機会があるけれど、今後の人生について相手の思いを聞きながら、生活再建の 一歩をすすめるために、自分が出来ることをいっしょにやっていきたい」と感想を話します。

 

 

週末に東京と沖縄のメンバーが到着します!

沿岸地域の被災地域などを訪問して、生活実態や要望の聞き取り調査を行います。

 

ニュースNo1(PDF)「4thvolu_news1.pdf」をダウンロード

2012年4月17日 (火)

第四次全国ボランティアセンター開設

第四次ボランティアセンターを開設しました。

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左から、

みな様おなじみ、前回センター長で昨年の4~5月からずっとボランティア活動に携わってきたTKこと、やっさん。

今回センター長をすることになったいつもニコニコ(思い出し笑い)しているイクミンです。

運転も、事務作業もなんでもこなす、あべたい。

現場センター管理・運営をしてくれているしんちゃん(登米市在住)です。

そして、写真には写っていませんが、センターを何と言っても陰で支えてくれているのは、

毎食のみんなのご飯をつくってくれ、PC設営もしてくれる、登米市センターのお父さん、やかべさん

途中で入れ替わりはありますが、こんなメンバーで運営していきます。

みなさん、よろしくお願いします。


昨日はさっそくご当地B級グルメのもくもく丼を食べました~~!

 

作ってくれたのは、やかべさんとしんちゃんです! 感謝!

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夜は、明日の行動や今後の予定を確認。
まだまだ、事務局の動きには慣れていませんががんばります~~。

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