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2012年5月18日 (金)

石巻市と懇談

 全国青年ボランティアセンターは5月7日集めた実態200人分(中間まとめ)を石巻市被災市民生活支援課に届けました。参加者は全国青年ボランティアセンター和田育美センター長、民青同盟宮城県委員会岩渕大地委員長、伊勢薫県常任委員、日本共産党宮城県東部地区委員会鈴木実常任委員の4人です。

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 聞き取りをする中で特に要望の多かった、街灯の設置、車がないため外出が不便と訴えいる高齢者の実態を伝えました。市からは、「道路課に申請をすれば、検討したのち設置は可能」「運航協議会をつくり、電話予約で自宅前に迎えにこれるような交通バスを考えている」などの解答がありました。
 また在宅被災者を訪問する中で「半壊認定でも家屋修理だけで1000万円かかり、電化製品も自費で買いそろえた」「助成される補修費用で直せる範囲しか直さない」という実態を聞いてきました。市からの家屋改修助成金について質問をしました。「お金の問題は国からの災害援助費に頼っている部分もあり、市の財政に限りがある」ということでした。
 被災市民復興支援課の庄司勝彦課長は「在宅被災者に手が届いていないということはその通りです」と話し、「数ある被災地の中から石巻市に支援に来ていただいていることは非常にありがたいことです」と応じました。

2012年5月 5日 (土)

終日石巻市の在宅被災者のみなさんに聞き取り@宮城

青年ボラセン@宮城ですsign01

きょう5日は日本の最後の原発が止まった日でした。
参加者の青年たちは、バス2台、ワゴン車などに分乗して終日石巻市の在宅被災者のみなさんに聞き取りにとりくみました。

夕飯の炊き出しは、山形の農民連からいただいたお米55合を炊き、生姜、ニンニク、ごぼう、バター、牛乳入りのspecialカレーと愛知県から宅配便で届けられた甘夏みかん80個、TPP反対だとおっしゃるご近所の農協組合長さんからいただいたホウレン草のおひたしを完食!

食事後、今日一日の活動の感想交流をしました。

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登米市の公民館で「青年のつどい」@宮城

~4日夜~

青年ボラセン@宮城です(o^-^o)

登米市米谷公民館ホールをお借りし、「青年のつどい」が87人の参加でひらかれました。日本共産党の3人の議員さんからは大震災の被害の実態と党が取り組んできた救援活動についての報告、ボランティア活動に参加した若者たちからは、被災者から聞き取った内容が報告され、感想交流しました。

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被災古民家の清掃作業@宮城

~4日午前、午後~

 青年ボラセン@宮城です(*^.^*)
 宮城県登米市を拠点とするセンターは、4日は2隊に分かれて午前中は登米市内の仮設住宅での被災者聞き取りと登米市米谷の古民家解体に向けての清掃作業にとりくみましたsign01

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  写真はまだ小雨の降る中を廃屋の中にあった家具やゴミを分別して仕分けているところ
です。若者25人と大人若干名で古民家の清掃が一気に終わりました。家主さんがドリンク
と「甘太郎や菓子店」の「ゆべし」を差し入れてくれ、みんなでいただきました。素朴な甘さがおいしかったですlovely
 昼食後は、石巻市の在宅被災者の聞き取りに80人体制でとりくみました。

2012年5月 2日 (水)

まともな仕事と人間らしい生活を@福島

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今日は、ハローワーク前で福島の青年のリアルな生活や雇用状況を調査し、30人以上の人と対話しました。

詳細は、追ってまた補足します。
乞うご期待(≧m≦)


2012年5月 1日 (火)

「何かしたい」思いが全国から福島へ

今日は、ボランティアに駆けつけた参加者の思いを紹介します。

◆広島 被ばく3世の高校生S君
 広島は、人類初の核兵器被害をうけたところです。その核兵器がもとになって、原発ができました。福島で新たな放射線の被害者が生まれたのは、僕らにとって許しがたいことです。「ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ」という言葉があるけど、別の形で被害が繰り返されてしまった。人災だし、防げたんじゃないかと、憤りを感じています。
 仮設住宅では、「被爆地・広島の代表として来たんです」と伝えながら、思いを聞きました。事故直後、放射能がたくさん流れていた地域に避難させられ、何も知らないまま外部被ばくした人もいました。僕自身、被ばく3世なので、また新たな被ばく者や、その2世、3世が生まれると思うと、本当に悔しいです。
 放射線がいかに危険なものか、生活をいかに壊すのか、原発を広めようとする政府に、どんどん意見を言いたい。被災者の思いを、もっと全国に発信していきたいと思います。


◆防災対策にあたる公務員T君
 この春、公務員になって自治体の防災課に就きました。共産党の議員さんに誘われ、福島に来きました。3・11は防災を考えるうえで忘れられません。東北のことを、地元でどこまで生かせるのか。被災地をじかに見たいし、知りたいと思って参加しました。
 仮設住宅で話をうかがって、被災という非日常的な状態と、日常的な日本社会のようすとが重なってみえました。たとえば、もう原発はいらないと思っても、地元は一筋縄ではいかない。原発で働き、かかわってきた歴史を、慎重に解きほぐしていかなければいけないんだと感じました。私は沖縄出身なので、米軍基地問題とダブって見えました。
 同じ被災者なのに、ちょっとしたことで関係がギスギスしていることも気になりました。責任を追及されるべきは東電や国だし、本当は協力しあっていく仲間なのに、自分のことで精いっぱいなのかな、と。反貧困の活動をやっていたとき、生活保護とワーキングプアの方がぶつかりあい、連帯を築くのに苦労したのを思い出しました。
 でも、ある被災者の方が、心にためこんでいた怒りを次々にはきだしてくれ、最後には清々しい表情になっていたことが、印象的でした。こんどは被災者どうしで何でも語り合えれば、一人じゃないという安心感につながるんじゃないかと思います。
 地震が起こったときに地域で助け合い、つながりをつくっていけるように、公務員として頑張りたいと思いました。


ありがとうございます
【お米が全国から】山形の置賜産直センターから、お米が810キロも届きました。各地からぞくぞくと寄せられ、小分けにして被災者に届けています。

【おいしい野菜も】高知からセリにつづき、三つ葉もくることに。徳島のにんじん、神奈川のゆずみそなど、各地の特産物も寄せられています。

【朝のコンビニでのこと】ボランティアのゼッケンや車のナンバーをみて、「福島のためにありがとうございます」と、お菓子をいただきました。

2012年4月30日 (月)

政府・行政の役割が見えてきた@宮城

~アンケートの集計結果から~

 石巻市の在宅被災者への訪問では、2日間で92人が実態調査にこたえてくれました。調査アンケートをまとめると、在宅被災者の生活再建への課題、政府・行政の役割が見えてきました。

住宅の改修費用については、81%の人が、「市の補助だけでは足りない」と答えています。中には「できるかぎり修理するけど、お金なくなったらそこで改修は終わり」と、あきらめさせられている方もいます。「同じように津波をかぶり、両隣りの家は『全壊』と認定されたのに、自分の家は“ガレキが入ってない”という理由だけで『半壊』にされた」など、被災者を「線引き」することへの不満の声もありました。

被災者個人への補償については、阪神淡路大震災後、住宅が全壊した被災者に、最大300万円まで支援する国の制度ができましたが、今回のアンケートでは、改修費用の平均は約570万円、中には1300万円かかった人までいます。在宅被災者は、住宅だけでなく、冷蔵庫や冷暖房設備など生活必需品も多くが津波で流されており、支援かなければ自分で買い変えなければいけません。「せめて改修費用の補助を増やしてほしい」という願いは決してぜいたくではないはずです。国の補助を抜本的に拡充することが求められています。

行政への支援では、街灯の設置や側溝の補修が不十分で、「夜街に出るのが不安」という声が多くありました。同時に、あまり行政の仕事とイメージされにくい、「雇用」「事業の再開」などの要求も少なくありませんでした。

「全国青年ボランティアセンター2@宮城ニュースNO.7 2012年4月30日」
PDFのダウンロード

つどいを開きます!@宮城

宮城登米センターでは、
5月4日18時半からつどいを開き、70人以上の青年が参加する予定です。

日本共産党・気仙沼市議の秋山善治郎さん、登米市議の工藤淳子さん、佐藤尚哉さんが、3月11 日直後の状況や、復興のために政治が果たすべき役割についてお話していただきます。

全国から「何か力になれれば」と集まっています@宮城

宮城センターに富山、新潟、東京、奈良、大阪、高知、佐賀から30人

宮城センターには、各地から青年ボランティアが集まっています。28 日は、高知、富山、大阪のメンバーが石巻市の在宅被災者を訪問し、要望を聞きました。

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生活改善の課題、つぎつぎ

「お店が遠くて買いだしに時間がかかる」
「街灯がないので、夜側溝にはまりそうになった」
「庭のじゃり、植木が流れたので補充して」
「救援物資が届かなくなった」
「レンジや電気カーペットがほしい」
「市役所の人が来ない。廃材の収集も止まってる」

被災者を訪問して寄せられた声です。地図と調査用紙を片手に、一軒一軒訪ねていくと、多くの要望や生活改善の課題が見えてきました。

「リフォームに800 万かかったが市の補助は160 万」
「修繕はお金がなくなったらおしまい」
「義援金が全く足りない」

収入が減ったり、途絶えたりして、生活が苦しくなっていることも共通しています。
この日1 日で25 人を訪問し、被災者の要望がリストになりました。中には家の中にあげてくれて、3月11 日直後の状況や、ご家族のお話まで聞くことができた被災者もいます。「気持ちが落ちていて、やる気がしなかった。話しただけで気が楽になりました」と感謝の言葉もかけられました。

ミーティングで話しあって

夜のミーティングでは、4つのグループに分かれて、ボランティアに参加しようとした思いや、訪問活動や被災地の現状を見た感想を交流。「最初はそんなに話してもらえないと思っていたけど、聞いてみるとまだまだ支援が必要なことがわかった」「行政がすべきことを放置している印象を受けたのでもっと声を集めて困っていることを解決しないといけないと思った。地元に帰って聞いたことを伝えていきたい」などの感想が出されました。「こういう時はどう声をかけたらいい?」と話しあった班もあります。遠慮していたり、言いづらそうな被災者への聞き方の工夫も出し合い、より被災者の気持ちにあったボランティアになるよう議論しました。

被災地を視察してきた新潟や奈良のメンバーからも、「テレビで見るのとは違い、復興はまだまだこれからだとわかった」「被災地を見て言葉がでなかった。明日から見たことを胸に刻んでがんばりたい」という思いが出されました。

29 日からは新潟、奈良、佐賀、東京も加わり、引き続き要望を聞きながら、こたえていきます。

~参加者の感想から~

「訪問したときに『人恋しかったので、話すことができて嬉しい』と言われて、来てよかったと思った。お金が足りていないことを実感したので募金活動できればいいな」(高知T さん)

「津波の元の方に近づいていくと、段々と直されずに放置されている家が目立ってきて、残された方がさびしそうにしていたのが印象的だった」(富山K さん)

第4次ボランティア@宮城ニュースNo6.pdf」をダウンロード


「聞いてくれてありがとう」 福島の83才のおばあちゃん

29日、福島では仮設住宅への訪問が本格的にスタート。浪江町から避難してきた方々を、青年ら16人で訪ねました。「生きているうちに帰れないかもしれない。でも本当は、ふるさとで死にたい」。ぽつり、ぽつりと語られる言葉に耳を傾けました。

◆戦前・戦後の人生をかさねて

83才の女性は、原発に奪われたものを、人生を振り返りながら語りだしました。戦前、満蒙開拓団として家族8人で中国にわたり、3人しか戻れなかったこと。浪江町で苦労して開墾してきたこと。牛をふやし、野菜をつくり、ようやく安定した生活が送れると思った矢先に事故が起こったこと。再び開拓したものを失い、体も壊してしまったこと…。2時間ほど語って少し元気になれたようで、「話せてスッキリした。聞いてくれて本当にありがとう」と言ってくれました。
「子どもや孫のためには、もう原発はいらない」。そう語る横で、孫たちはボランティアの青年といっしょに、楽しそうに縄跳びをしていました。

◆放射能への不安と家族の葛藤

支援物資として高知産のお米とセリを手渡すと、「福島県産じゃないですよね」と確認するお母さんもいました。原発関連の情報を信用できなくなり、県内産のものを食べず、知人があげようと持ってきても「それ、苦手だから」と断るようにしてきたといいます。
じつは夫が東電社員で、いまも原発で働いていると打ち明けてくれました。放射能をめぐって夫と言い争いになるし、まわりから白い目でみられることもあるそうです。原発問題の根深さが垣間見えました。

◆子どもから我が家への思い

小学生と遊びをしながら、こんな話も聞きました。「おうちの水仙、チューリップ咲いているかな?おばあちゃんがお花をたくさん植えたんだよ」。かつて住んでいた家の様子を楽しそうに語る姿をみて、原発事故は当たり前の生活をうばったとつらい気持ちに。同時に、自分たちに出来ることを考え続けたいとの思いを、新たにしました。

◆「目に見えない被害」の傷

「行政が水道水を検査して『大丈夫』と言われたけど、もう信じられない」。ある被災者は、原発と東電への思いのたけを語ってくれました。「原発は、日本中どこも安全じゃない。再稼働は信じられない」。また、今後のことについて、「放射線の被害は目にみえない。津波被害は映像で後々まで伝えられるけど、福島は忘れ去られてしまうのでは」という不安も出されました。

聞きとり後の全体交流では、一つひとつの「目にみえない被害」を知った衝撃とともに、地元に戻って福島のいまを語り広げたいという意欲が交流されました。

«ありのままの福島を見てほしい