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2011年4月

2011.04.30

●福島レポート~民青同盟田中委員長より

4月20日から4日間、福島県でボランティア活動にあたった民青同盟の田中委員長から活動をまとめたレポートが届きました。

「repo-fukushima.pdf」をダウンロード

「被災者の声に耳を傾ければ、自分たちのやるべきことは見えてくる」

田中さんの実感です。

地震、津波、原発、風評…。

言い尽くせない不安を抱えながら福島の方たちは生きていると思います。

福島の方たちの思いを、自分も胸に刻んで生きていこう!

思いに寄り添い、少しでも力になりたい!

田中さんのレポートを読み、親ケロもそう思いました。

民青同盟は、いま被災地でボランティアをしながら、被災した方たちに声をかけ、「困ったことはありませんか」と聞いているそうです。

ボランティアとしての依頼にこたえることに加え、被災した方たちの言い出せない思いもふくめて受け止めて頑張ろうとする彼らの姿、先輩の一人としてほんとうに誇らしく思います。

*訂正が一つ
文中7ページにある「いわき市黒磯」は「いわき市平薄磯」の間違いです。

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●「ここまで来てくれたのははじめて」~宮城

29日は、東松島市で物資お届けのボランティアをしました。

9時30分に集合し、まずは野菜や米の仕分け。

ジャガイモ、にんじん、ごぼう、フルーツを袋に小分け。お米も一家族分を一まとめにしました。

現場に着いてハンドマイクで呼びかけると、住民のみなさんが次つぎと集まってきました。2カ所でやりましたが、30分ほどで持ってきたもののほとんどがなくなりました。

仙台への帰り道、大曲港のあたりを見たり、45号線を松島まで走り海岸線を見て帰りました。

参加者からの感想。チラシを見て初めてボランティアに参加したSさんは「会社も復興支援をやろうと言っている会社。現場が見れてよかった。勉強になった。今度は現地の人の声も聞く活動をしてみたい」

学生班のGさん「人によって必要とするものが全然違うんだなと感じた

」学生班のW君「ボランティアの要領をもっとよくしたほうがいいと感じた」

地域班のIさん「東松島は2回目。大通りはきれいになっていたけど、小道に入ったり港の方は全然かわっていないと感じた。『車が流されたからありがたい、ここまで近くに持ってきてもらったのは初めて』と喜ばれた」

地域班のSさん「2ヶ所目で対話した女性は床上60センチの浸水で、水が引くまで10日間2階で過ごした。物資お届けがここまできたのが嬉しい、といわれ物資もそうだけど、気持ちも届いてこっちも嬉しかった」

30日は、南三陸に物資お届けをします。

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2011.04.27

●求ム。若者 震災ボランティア~宮城

Img010_2

GW中の震災ボランティアをよびかけるポスターです。作成*民青同盟宮城県委員会

「1104-shinsai-vola-min.pdf」をダウンロード

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2011.04.26

●いわき市内で青年と対話しました~福島

24日、シールアンケートと原発署名で対話しました。
中高生、青年など含め9人が署名してくれた。中には乳児にレインコートとマスクを装着させて通りかかった方も。

▽高校生、中学生姉妹
姉:湯本高校。
5月11 日から授業開始。校舎が崩れそうで危険なため、一学期は明星大学の校舎を借りて授業をする。家から大学まで40 分、交通費は1カ月で1万円かかることになった。今までは3カ月でさえ1万円もかからないし、家から15 分だったので、大変かな。大学の最寄Photo 駅から大学までのバスが午前の授業開始までに一本しか走っていない。生徒700 人いるのに。これから増やそうとしているらしいけど。

妹:泉中学一年生。
今までは午前授業で給食なしだったけど、明日から午後も授業開始。給食はパンと牛乳一つずつ。私は牛乳が飲めないからつらい。中学には避難している人たちがいる。双葉町からきた人たち。双葉町と泉中の区域の小学校からきた新1年生を混ぜたクラスを作っている。

▽内郷一中の中学生3人組・女性
給食がないし、外で部活できないのが大変。体育の授業も外でできない。昼ごはんは弁当を持っていっている。原発なんで福島にあるの?これから14 基増やそうとか馬鹿じゃないか。
原子力じゃなくて火力とか水力とかでやれよって思う。東電に言いたいことはいっぱいある。
(署名と「東電・国への一言」を書いて)、あーすっきりした!

▽27 歳・いわき駅職員・女性
原発が心配で窓をあけられない。雨もこわい。ぬれたらすぐお風呂はいったほうがいいのかとか考える。早く収束してほしい。(シールは国と東電の責任あり、自然エネルギー転換)。

▽23 歳・男性・花屋
会社が大変。いわきのお花は全然売れなくなった。見通しはない。100 人以上いる会社。

●いわき市・薄磯沿岸で聞き取り
▽子ども連れ夫婦
親戚の葬儀できた。家がなくなった。あそこで暮らしていたんですよ。(指差した方向には がれきの山しか残っていなかった…)
地震のときはPhoto_5子供をつれてちょうど病院にいこうとしていたときだった。それでこの辺りを出たのが2時半ごろ。そしたら地震が。もう戻る気にはならず避難所にいった。今は避難所からアパートに入れたので、移って暮らしている。

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2011.04.24

●福島市内で「原発事故とこれから」について語り合いました

こんにちはsun
民青同盟中央委員長の田中です。

23日、4時半~5時半、9人の同盟員が集まって福島駅前の商店街で原発問題のシールアンケート&原発事故の収束と福島原発の廃炉をもとめる署名、そして救援募金への協力をうったえました。

22人と対話でき、署名は20筆、救援募金は5400円あまりが寄せられた。ありがとうございました。

「避難生活をしている人の中にはパンとおにぎりだけしか食べていない人もいます。募金の協力をお願いします」「この福島から原発への声をあげたいので、ぜひみなさんの意見を聞かせてください」とハンドマイクkaraokeでうったえると、注目をあび、一度通り過ぎてもふりかえって募金したり、シールを貼っていく人もいました。

特に若者、学生に反応がよく、若者ほど募金も協力し、原発依存からの脱却の立場も響いたように感じます。

2011042318030000 ●シール投票に協力した22人のうち、「原発事故を引き起こした東電や国の責任についてどう思いますか?」の質問には、「安全対策を怠った国と東電の責任がある」にシール貼った人が15人、「想定外だから仕方ない」7人。「わからない」という人はいませんでした。

「今後の原発をどうするべきか?」については、「増やす」が1人、「現状維持」12人、「減らす」9人となっています。

▽学生・南相馬市(現在親戚の家に避難)
家に帰れない。早く家に帰りたい。親族も被災し行方不明になっている。シールの1問目は「責任がある」にシール、2問目は「増やす」と「現状維持」の間にシールをはりました。「女川原発は福島より安全につくっているから大丈夫だったのでは?原発がなくなったら困る人も多いと思う」と話し、自然エネルギーについても「そんなに普及できると思えない」といいます。

対話した同盟員が、「原発は大丈夫といえない。全国の原発も老朽化して、いろんな事故や異常を起こしてきた」
「政府はこれまで莫大なお金をつぎこんで原発ばかり推進してきたけど、そのお金を太陽光パネルの補助とか、自然エネルギーの開発につぎこんだほうがいいんじゃないかな。ドイツでは再生可能エネルギーがどんどん普及し16%、こないだ原発を廃止するということをうちだした。政治の姿勢しだいだと思う」
と話すと、「そうですね。原発にお金つぎ込むよりは自然エネルギーに使ったほうがいいと思う」と言ってくれ、署名もしてくれました。

▽その他よせられた声
「原発いらないと思う。自然エネルギーにもっとかえていったほうがいい」
「何年か前にこういう事故の危険性は指摘されていたのに、ひどいですよね」
「いま原発をなくすのは電力が足りなくなってしまうのでは」
「原発はCO2ださないから環境にやさしいっていう」
「原発のおかげで仕事できていたり、お金もらっているから、難しい」
…などなど。

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●岩沼市内で物資「お届け隊」~宮城

民青宮城県委員会です。

23日(土)は少雨のなか、岩沼市に物資を届けにいきました。

日本共産党仙台西地区委員会といっしょに、朝8時30分から米や野菜を小分けにする作業をスタート。9時30分に仙台を出発しました。

3回に分けて物資を届けました。

待っていた地域の方からお茶を振舞われるなど、各所でたいへん喜ばれました。

学生のW君は、「ボランティアの後見学したゆりあげ地区は想像以上にひどかった。連休のボランティアも参加したい」と話してくれました。

W君の友人で、ボランティア初参加のM君は、「1カ月たっても支援がなかなか来ないと怒っているおばあさんもいて驚いた。これからもできる限り参加したい」と。Mくんが家族と住むマンションも地震による被害を受けました。「それもあって、困っている人の力になりたいと参加したんです」と話していました。

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2011.04.22

●震災・原発事故で若者の雇用が失われている~福島

島市内のハローワーク前でアンケート対話を行いました。13人から話を聞くことができた。

震災の影響ではない自己都合退職の方もいましたが、震災の影響があると答えた人の中では圧倒的に原発事故によるもので、事態の深刻さを痛感しました。

きょうはハローワークで10時から震災・原発被害への補償の説明会があったそうです。それもあって、駐車場に入るまでに長い列ができていました。

memoアンケートの結果はコチラ↓
「fukushima-taiwa.pdf」をダウンロード

●22歳女性・富岡町・現在は旅館で生活
ホテル業に勤務していたが、原発20キロ圏内で仕事ができなくなり、1年間休業になりました。今日は失業手当をもらうためにきましたが、1年休業なのに3カ月しかもらえません。結局そのあとは生活できなくなるから、休業でなく退職して、こちらで新たな仕事を探すしかなくなると思います。だから休業といっても失業と同じです。

家も津波で流されました。いまどうなっているか見てきたい。アルバムとか持ってきたい。 生活は福島市内のあづま体育館の避難所にいましたが、11日に旅館にうつりました。旅館は待遇は他の避難所に比べたらいいほうだと思います。

今後は、7月まで仮説住宅はできないから、それまで待つしかありません。家族は、母、父、兄、弟。父は原発関係の下請けの仕事をしていたけど、新潟に転勤になり、今度は火力発電の下請けです。離れ離れに暮らしています。私たちがどんな生活をしているかもしらないはずです。兄は出稼ぎにいっています。弟も大熊町にあった原発のバルブの製作の会社で働いていましたが、九州の本社から「来い」といわれて悩んでいます。

要望は、失業給付の期間が3カ月では結局失業するので延長してくれないかということです。せめて1年に。あとローワークに避難所からくるのは大変です。出張相談とかしてくれないか。自分は車が流されずにすんだけど、避難所のときは求人票とかもなかったし、車がない人はハローワークに来るのも大変だと思います。

●37歳女性・浪江町・現在はホテルに住んでいて、会社ごと津波に流されて失業しました。契約社員で事務職でした。会社からは何の補償もなくそのまま解雇です。いまは預金をくずしています。政府にいいたいことはたくさんあるけど、早く放射能をとめてほしい。それだけです。

●30歳女性・福島市
農業をやっていました。原発で出荷停止になったので、収入がなくなりました。もう農業は続けられないと思って仕事を探しにきたんです。東電は仮払いではなく全部補償してほしい。

●21歳女性・浪江町・現在は避難所で生活
休業手当てをもらいにきました。もともとの仕事は介護職員です。原発20キロ圏内に職場がありました。6~9カ月で収束し帰れるように、というけど本当にそうなるんでしょうか。とにかく早く原発が収束にむかってほしいです。

●36歳男性・福島市・現在は実家で生活
2カ月前まではそれまでシステムエンジニアの仕事をしていましたが、結婚するためにやめてこちらに引っ越してきました。そしたら震災でしょ。職を探しているけど、こっちは仕事ないですね。また仙台に行くしかないかな。

震災後ハローワークに来る人が増えたと思います。

放射能については不安だが、原発は安全面はしっかりやってほしい。ただ非難できないでしょ。交付金もらっているし、文句言えないんじゃないかとも思います。

●41歳・男性・浪江町・現在は親戚の家で生活
休業手当ての申請にきました。もともとは縫製会社に勤めていました。休業は震災直後からずっと続いています。実際に手当てがでるのは5月になります。月いくらもらえるかは言われていません。

とにかく元の場所に戻れるようにしてほしい。

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●郡山市内で青年から話を聞きました~福島

民青同盟中央委員長の田中です。
昨日は、全国に向けて震災ボランティアのよびかけを行いました。
ぜひ全国からの申し込みと参加をお願いします。

昨日、私は民青福島県委員会のメンバーといっしょに郡山市内で青年から話を聞きました。

昨日、菅直人首相が訪れた避難所で話を聞くと…。

学校からかえるバスbusから降りてきた中学生グループ
「運動場がほしい。遊ぶ場所がなく、ストレスがたまる」
「ご飯がつらい。だいたいパンかriceballおにぎり。3月まではお弁当だったのに4月からパンとおにぎりに。野菜が食べたい」
「ボランティアの人たちの炊き出しが時々あって、そのときはラッキー。果物は缶詰だけど、ときどき出る」
「1、2年生は一つの教室を半分に仕切って使っている。隣の声が聞こえてきて授業に集中できない。貸してもらっているから文句も言えない」
「学校が始まったけど、勉強場所がない。体育館は9時半か10時に全部消灯になるから夜勉強ができない。勉強場所を作ってほしい」

2人連れの学生ボランティア
「大学でボランティアを募集していたので参加しました。今日がはじめてです、間仕切り設営をしたんだけど、きょうは100人くらいで作業にあたりました」
「原発なくてもいいと思う。昨日ニコ動で、どっかの企業の社長さんが『いますぐは無理だけど、太陽光とかにもっと人やカネもつぎこんでいくべきだ』といっていた」
「津波は想定外とか言っているけど、あれは違う。人災だと思う」
「大学でまたボランティアを募集するなら参加したい。原発のことは自分では知ることくらいしかできないけど、ボランティアならできる。建築科なんで、地元の復興のためにがんばりたい」

対話する中で「消費税あげるとかひどくないですか?!」「青年大集会とかすごいですね」民青同盟の活動や主張にも共感してくれ、夜phonetoツイッターでやりとり。「きょうお話しさせていただいて楽しかったです。ボランティアに参加したいです。都合がつく日をまた連絡します」とつながりもできました。

避難所は空気が悪く、においも湿気もありました。避難者の方たちは疲れています。家族と家族の間には段ボールの仕切りが一応ありますが、体育館のフロアだけでなく、通路にも人が寝ていて、そこも通行する人が行きかっており、プライバシーはほぼないようなものです。

洗濯機は数台ありました。お風呂は自衛隊がテントをはって提供してました。

掲示板には、被災者支援制度やハローワークの求人などがはってありましたが、字が小さく、注意深く読まないと気が付かないのではと思います。

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●民青同盟中央委員会がボランティアセンターを開設

GW期間中、民青同盟が震災ボランティアにとりくむことを発表しました。

ボランティアセンターを岩手県一関市内におき、そこをベースに、岩手県沿岸部の被災地でのボランティア活動にあたるとのことです。

くわしくは民青同盟HPを見てください。
http://www.dylj.or.jp/action_rescue.php

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2011.04.21

●「3食おにぎり1コずつだったのでうれしい」~福島・郡山

Photo16日、「震災・原発事故被災者支援活動 郡山共同センター」主催の炊き出しに4人の民青同盟員が参加。

全国から届けられた野菜をたっぷり使ったとり汁に和えもの、デザートにイチゴもつけて、5カ所の避難所に届けました。

班員が訪問した郡山市総合福祉センターに避難されている方から話を伺うと、土日は炊き出しがほとんどなく、この日は朝・昼・晩ともおにぎり1個ずつだったそうですwobbly

そういう状況で「野菜がいっぱいでうれしい」「フルーツが付いているなんてはじめて」と喜んで炊きだしを受けとっていただきました。

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●震災ボランティアをよびかけます~宮城

宮城県の民青同盟は、4月末から5月のGWにかけて、いっしょに活動してくれるボランティアを募集しています。

この間、数回のボランティアにとりくみ、その活動を紹介する中で友達やつながりある方からも「参加したい」との反応がよせられているそうです。

Img009救援物資を届ける「お届け隊」、炊き出し、片付けなど、人の力、とくに若者の力が必要とされています。

なお、県内在住の青年向けです。

参加を希望される方は、QRコードから申し込んでください。2011041518311412781

名前、連絡先など、お忘れなく!

「minsei-miyagi.pdf」をダウンロード

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2011.04.20

●石巻市内で青空救援物資バザール~宮城

17日の日曜日、石巻へ青空救援物資バザール(無償提供)と畳の片付けに行ってきました。

午前中は物資の届けがまだ行き届いていない鹿妻地域へ、トラックに大量の荷物をのせ出発。いろんな地域のボランティアが参加し、合わせて総勢40人以上が参加。500人もの人が物資を求めて集まってきました。

午後は畳の片付けを頼まれ、30畳分外へ運び出しました。

少し時間ができたので、石巻市内の被害の様子を見て歩きました。

参加者の感想。
被災後石巻に行ったのは初めてだという、学生のW君は「TVで見るよりずっと衝撃的だった。物資がすぐ無くなり、いくらあっても足りないと感じた。ボランティアを必要としている人は数え切れない」。

同じく被災後初のEさんは「石巻市門脇を見て、まるで空襲を受けた後のよう。終戦後の姿みたい。復旧にはすごい時間がかかると思う。生活全般を支える幅広い援助が必要」とそれぞれ語っていました。

Iさんは「食料や下着はまだまだ足りていない。被災地は乾燥していて、砂埃とか酷い。生活にマスクが必要だと思う。初めて行ってから1週間たったけど、あまり変わっていない。大通りもデコボコ。畳は大変だった。乾燥しているのに畳は濡れていて重いし汚れる。人手が必要だと感じた」と話しました。

23日の土曜日は、仙台市若林区内での片づけを予定しています。

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2011.04.15

●東松島市内で「お届け隊にとりくみました~宮城

民青宮城県委員会は12日と14日に石巻と東松島へ物資仕分けとお届けボランティアをしました。

12日は地域班から3人が参加。お昼から4時間ほど物資仕分けのお手伝い。女性衣類が大量にあるので、主にそちらの仕分けをしました。

110414_113601_214日は地域班から1人と、学生2人が新たに参加。共産党県委員会から東松島へ直接物資のお届けをしました。 11時から共産党県委員会で、米や野菜を小分けにする作業をし、13時頃出発。

住宅地で声をかけると、あっという間に無くなったそうです。

初参加の学生のH君は「TVで見てたからわかってたつもりだったけど、自分の目で見ると全然違う。酷いとしか言えない。復興といってもどこから手をつけていいのか。自分にできること、何ができるのかわからないけど、やっていきたい。物資お届けは、数週間前の仙台のようだ。車でこれくらい行くだけで、こんなに物が無いなんて」と話していました。

同じく初参加の学生Oくんは、「仙台は被災地だと思っていたが、かなり差がある。津波の被害はひどい。掃除とかたいへんだろう」と感想を話していました。

東松島からのかえりに寄ったコンビニで、偶然、同盟員の友人と合い、そこでボランティアの話をすると、「土日だったらできるかも」とボランティア登録してくれました。

昨日は学生の班会議があり、どんなボランティアをしたいかを議論。避難者の話し相手になりたい・炊き出し・片付けなどの声が出され、5人ボランティア登録してくれました。

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2011.04.13

●石巻で物資の「お届け隊」にとりくみました~宮城

4月10日(日)に、学生班のW君、地域班のIさん・Sさんと4人で石巻にいって、物資仕分けと物資お届け隊のボランティアに行って来ました。

石巻の震災救援センターには、全国からたくさんの物資が毎日送られてきます。 それらをマスクや軍手、子どもオムツに大人オムツ、布団、子ども衣料、男性衣料、女性衣料などなど、それぞれ仕分けをしなければいけません。それだけでもかなり人手が必要だと感じました。

Photo_2物資お届け隊は、津波で床上浸水したけど家で暮らしている人たちや避難所にいる人たちに、軽トラックで物資を持っていって配るボランティアです。

津波被害を受けていない内陸の大きなお店はやっているんですが、津波で車を流されたりして買い物にいけない人や、お金が無い人たちがいっぱいいます。

持って行くものは米や野菜・果物。卵に缶詰、水などの食料と、布団や衣類・下着・ティッシュ・歯ブラシと日用品などです。 軽トラックに積んで住宅地に行き「救援物資を届けにきました」と声掛けすると、20人程がドンドンと集まってきてあっという間に積んだ物資がなくなります。

午前と午後に1回ずつお届けしましたが、何回やっても足りないな、と感じました。

参加者の感想は、
W君「人も物も車も足りない。避難所より酷いと感じた。もっとボランティアを広げたい」
Sさん「先月も石巻に行った。今回は前回見れなかった場所も見てショックを受けた。見たからには続けないとと思った。先は長い。物はあると思っていたのに、まだまだ足りてない」
Iさん「住宅地がなくなっていてショックだった。物資も人も足りてない。行く途中の酷さを見て、『自分にできることはあるのか』と思っていたが、やることはいっぱいある。やれる事をやっていきたい」

岩渕大地

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2011.04.11

●相馬市でボランティア活動にあたりました~福島

4月5日、民青同盟員2人が日本共産党の方たちと相馬市で、津波によっMl_ts3j0692て浸水した物置や庭に堆積した泥や瓦礫の撤去作業を行いました。

震災から3週間。
物置の中は日が当たらないため腐敗臭が漂いはじめ、庭に積もった泥は固く乾燥し、掘るのは容易ではありませんでした。

撤去作業は、まだ当分時間がかかりそうです。また、町としてもやっと復興作業が始まったという感じを受けました。これから、もっとボランティアなどの人手が必要になってくるのではないのでしょうか。

その後、海岸沿いに足を伸ばしましたが、あまりの光景に言葉が出てきませんでした。防波堤自体が崩れていて、一面もともと何があったのか分からないくらいの瓦礫の山になっており、津波のすさまじさがうかがえました。

Photo_2写真は、松川浦南部。海岸側から陸側を撮影しました。陸の上に漁船があがっています。

もう一枚の写真は、海岸側から陸を撮影したものです。電柱が折れてしまっています。

(M)

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2011.04.10

●避難所で炊き出し&青年からアンケート~福島

3日、ふくしま復興共同センター主催の「あずま運動公園の炊き出し・相談会・アンケート活動」に民青同盟からも10人が参加しました。

民青独自に作成した青年向けのアンケートを持って、2人ペアをつくって避難所内を聞いてまわりました。いくつかアンケートの内容をご紹介します。

●20代女性・南相馬市小高区から避難・臨時職員

自分の仕事は3月末までの契約だった。これから仕事をどうしたらいいか。中学生の妹はここから通える学校に編入する。

●高校2年生の女性・浪江町から避難

学校がどうなるのか心配。一応担任とは連絡を取り合っているが、詳しくはまだ決まっていない。

●20歳・男性・学生・浪江町から避難

原発関係に就職が決まっていたが、内定取り消しになった。住宅・生活費・雇用確保などどうなるのか。

●南相馬市原町区から避難・主婦

避難所の食事は菓子パンが多くて子供が飽きている。野菜ジュースは出るが、子供は飲まない。野菜を食べたい。子供が騒ぐとまわりから注意されることもあり、子供も自分もストレスがたまっている。洗濯機がないのでコインランドリーに通っている。

virgo支援物資の運びこみ、炊き出しの豚汁を手渡すこともしました。避難所の食事はriceballや菓子パンが多いので、野菜たっぷりで温かい豚汁はよろこばれました。

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●岩手の民青同盟が陸前高田市で若者の声をききました

民青同盟中央委員会の林です。

岩手県の民青同盟委員長 佐々木さんといっしょに陸前高田市に行きました。2人の青年から話を聞きました。岩手の民青同盟では救援ボランティア&若者から声をきく活動にとりくむことにしています。

oneFさん

地震があった当日は、仙台で仕事をしていた。その時の仕事は信用金庫関係の顧客情報を処理するような仕事だった。4月から陸前高田に帰ってきて市立の営農研修センターで働くことになっていたが、この津波の影響で無職になった。やっと昨日所長さんと会うことができた。所長も市の職員なので、当面の課題に追われているようだった。「申し訳ないが…」と言われた。

P1010875共産党と市民の会(戸羽市長を支えている)のプレハブが陸前高田に帰ってきた41日に頃にできたので、それからずっとそこで働いている。全国から届けられた物資の整理などをやっている。仙台にいるときも、大変だなと思っていたけれども、こちらに来て、どこがどう大変なのかが分かってきた。

地震の前から高齢者が多くて、青年が少ない街だっただけに、青年が町に残るように考えることは大事だと思う。

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